第三十九回
風姿花伝 その六
花修云(かしゅうにいわく) その一
一、能の本を書くというのは、この道にとって、命とも言うべきことである。演じるということだけならば、とことん秀でた才能や学問がなくとも、ただただ巧くなることによって良い能を演じることが出来るようにはなる。その極意のおおよそのことは、序破急のところですでに述べた。
ただ能を書く場合には、とにもかくにも、申楽をとおして表すべき本説にせよ、本説から外れた、あるいはそれを補完すべき脇にせよ、まずその始まりのところで、どうしてその題材テーマなのか、そして能を観るうちに人々が次第に分かって行くその筋道や由来のようなものを書かなければならない。それに関しては、それほど、こと細かに表す必要はなく、だいたいのところがおおまかに、すっと分かるように書き表されていれば良く、指寄花々(さしよりはなばな)という言葉があるように、脇の働きによって自ずと分かる申楽を書くと良い。
また二番目三番目の演目の場合は、できるだけ言葉をつくし、また風情を凝らして、細やかなものにすると良い。思うに、名所旧跡などをテーマとした演目の場合は、それと関係する詩歌を効果的に能のクライマックスである詰め所に用いると良い。為手の言葉や演技とかかわりの無い場面では、演目の本題につながるような言葉を用いてはならない。いずれにせよ、観客は演技を見るにせよ言葉を聞くにせよ、上手であってこそのものなので、一座を率いる棟梁が、語る面白い言葉や動作によって目を引いて初めて、観客は感動を覚えるのである。能を作る方法に関しては、まず第一に、このようなことが大切である。
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