のらり 大好評連載中   
 
■音楽知らずのバッハ詣で
 

第24回:人間としてのバッハという男 その2

更新日2022/05/05

 

『カサ・デ・バンブー』のテーブルやパーティーで彼らは実に饒舌だ。おしゃべりというのか、話し好き、議論好きだった。避暑に来ているのだから、ユッタリと静かに海辺の景色、地中海の空気を楽しめば良さそうなものだが、一旦会話が始まると、それが大声で言い争う議論になるまで3分とかからないのだ。

その内容は、政治や経済、社会運動のことではなく(そんな議論もしていただろうが…)日常的なこと、例えばドイツのどこそこの町のレストランの名前とか、そこへ行く道筋だとかで言い争っているのだ。お前たち、そんな些細なことに大声を張り上げて、唾飛ばし、喧嘩腰で話すとこではないだろうと言いたくなる。が、ともかく自分が言い出したことは、頑固に断固として主張し続け、何としても相手を遣り込めるまで押し通すのが彼らの流儀らしいのだ。それにあのシツコサはどうだろう…。 

一転して、彼らドイツ人が衆議一致するテーマがある。他の国、民族(ここでは主にスペイン、イビサのことになるが)を馬鹿にする時だ。彼らは辛辣にスペインをケナシ、イビサ人(イビセンコ)を見下す。この時だけは、スペインの体制、スペイン人の愚かさを如何に滑稽に、カリカチュア化するかだけが競われ、共に大声で笑うのだ。私はドイツ人の口から、ここスペインは良い国だ、スペイン人は、イビセンコは、素晴らしい人たちだという褒め言葉を聞いたことがない。

確かに、ドイツ人たちが買うか借りるかして住んでいる別荘(相当豪華なもの)やアパートマンションでも、上下水道の配管、設備、それに配電、窓の建て付けなどは、ドイツ、イギリス、北欧と比べ、粗末というのか酷い場合が多いかもしれない。それを修理するため、地元の配管工、電気屋などを呼んでもいつ来てくれるものやら予定も立たない。やっと着てくれたとしても、ドイツ人たちの目から見れば応急処置のような、一見いい加減な仕事しかしないように映る。

私がイビサに住んで3、4年経った時、スペインもECに加盟し、ドイツ人の居住が許され、スペイン国内で仕事ができるようになった。ドイツからも自動車修理工、配管工、電気工がたくさんやってきて、イビサに住み着き、仕事を始めた。彼らは約束した時間通りに必ず来る、しかも仕事は速く確実だった。料金はスペイン人、イビセンコの倍以上は取るのだが…。

しかし、それも当初の1、2年のことで、優れた職人であるはずの彼らが潰れるのは早く、2年以上イビサに住むドイツ人、北欧人、イギリス人の職人は使いモノにならないという不文律ができあがったのだ。安くて美味しいワイン、楽天的な地中海の空気にアテられ、自堕落な生活にドップリ嵌るのだ。彼らはスペイン人、イビセンコの職人仕事を馬鹿にしながら、自分がそれ以下の水準に落ちていることに気が付かないのだ。イビセンコの職人以下とみなされるようになったのだ。 

国民性とか表立った気質、性格はその国の人、全般に当てはまるものではないのを承知の上で言うのだが、ドイツ人はお節介やきで、頑迷、頑固、良く言えば粘り強いのだが、やること言うことが執拗、くどい、しつこい、それに狭量に見えるほど片意地を張る、謙虚さは微塵もない、徒党を組みたがる、と言ってもマトはずれではないだろう。

No.24-01
バッハ一族が年次集会のように集ったアルンシュタットの『金の冠亭』
ここの2階にバッハは下宿していたこともある。
このバッハ一族全員集合は毎回集まる町を変えていたが、1709年には
このアルンシュタットの旅籠『金の冠亭』に集まった。
この旅籠ビヤホールは、現在観光地になっているまるで体育館のような
ミュンヘンのビヤホール、ホフブロイ・ハウスほどではないにしろ、
相当広く、小さな舞台さえ持っていた…と思われる。
そこで演奏されるのはもちろん教会音楽(ムジーカ・サクレ)ではなく、
ムジーカ・ヴィーヴァ(世俗の音楽)だったに違いない。

ここに長々とドイツ人のことを書いてしまったのは、もしバッハが隣人だったら、私はどんな感慨を持つだろうかというあり得ないことを想定したからだ。恐らくというより、確実にやりきれない思いをさせられることだろう。バッハが大天才であり、彼が生み出す音楽がいかに感動を呼ぶものであったにしろ、隣人にしたくない、なりたくない種類の人間だと思う。天才とは、自我が異常に強いというレベルを通り越し、他を認めない、自分以外の人間を押し潰すほどの強烈なエゴの持ち主で、他のこと、俗事など見えない、聞こえない人種なのだ。 

バッハは時空を離れて聴くだけで良いと思う。しかし、それにしてもバッハが生きていた時代に舞い戻り、バッハの演奏を聴きたかった、バッハ一族が全員集合したアルンシュタットの『金の冠亭』での集いを邪魔にならない片隅で聴きたかったという思いはあるのだが…。

No.24-02
晩年のバッハ、ハウスマンの有名な肖像画

バッハが暴飲暴食の徒に近かったことはよく知られている。バッハの有名な肖像画(ハウスマンが描いた右手に楽譜を持っている絵)から判断しても、赤ら顔でビール太りのたるんだ頬、顎、鼻、目付きこそ射るように鋭いが、眉間に寄せたシワは、気難し屋で短気、分厚い唇は一旦怒鳴り出すととんでもない大声、低く響き渡り耳朶を打つ太い声が出てきそうだ。

この肖像画からは、崇高さは微塵も感じられない。これがかの偉大なヨハン・セバスチャン・バッハだといういう思い入れがなければ、ライプツィヒの旧市役所の壁に並んで架けられている歴代の市参事たちの肖像画と変わるところがない。人間の内面、性格までえぐり取るように描いたゴヤに、バッハの肖像画を描いてもらいたかったと、あり得ない幻想を抱かせる。髪を振り乱したベートーベンの肖像画からは、彼の強い意志が伝わってくるような気がするのだが…。

No.24-03
ヨーゼフ・カール・シュティーラー描くところのベートーベン
(Joseph Karl Stieler)
この画家はマインツに生まれ、ウィーン、パリで絵の修行をし、
長年バイエルン王国の宮廷画家を勤めた。
これはベートーベンが50歳の時に描かれた。
肖像画というのは実物より20~30%美しく、
かつ本人がそうありたい姿に寄せて描くモノだそうだ。
本物のベートーベンは、顔の皮膚が荒れていてアバタ面、顔色も暗く
くすんでいて、鼻は広く、しかも相当な出っ歯だった。背も低かった。

バッハは妻や子供たちに溢れるように愛情を注いだ。だが、それも子供が父親バッハの期待に応えるだけの音楽的才能があり、相応の努力をし、成果を現した子に限られていた。バッハは案外筆マメな男で、残っている手紙だけでも相当数になる。多くは受け取り手の息子どもが保存せず、霧散した。実際、口煩い親父からの手紙を後生大事に仕舞っておく子はいないだろうけれど…。

バッハが愛情を注いだのは、彼の期待に応えるだけの才覚のある男の子に限られていた…とさえとれるほど、女の子は無視されているのに気が付く。その当時としては、バッハが特別男尊女卑だったわけではないのだが…。

-…つづく

 

 

第25回:人間としてのバッハという男 その3

このコラムの感想を書く

 


佐野 草介
(さの そうすけ)
著者にメールを送る

海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

■ビバ・エスパーニャ!
~南京虫の唄
[全31回]

■イビサ物語
~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
[全158回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 5
[全28回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 4
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 3
[全7回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 2
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部女傑列伝 1
[全39回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part5
[全146回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part4
[全82回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part3
[全43回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝 Part2
[全18回]

■フロンティア時代のアンチヒーローたち
~西部アウトロー列伝
[全151回]

■貿易風の吹く島から
~カリブ海のヨットマンからの電子メール
[全157回]


バックナンバー

第1回:私はだまされていた…
第2回:ライプツィヒという町 その1
第3回:ライプツィヒという町 その2
第4回:ライプツィヒという町 その3
第5回:ライプツィヒという町 その4
第6回:ライプツィヒという町 その5
第7回:バッハの顔 その1
第8回:バッハの顔 その2
第9回:バッハの顔 その3
第10回:バッハの顔 その4
第11回:バッハを聴く資格 その1
第12回:バッハを聴く資格 その2
第13回:バッハを聴く資格 その3
第14回:バッハを聴く資格 その4
第15回:バッハを聴く資格 その5
第16回:バッハを聴く資格 その6
第17回:バッハを聴く資格 その7
第18回:天国の沙汰も金次第 その1
第19回:天国の沙汰も金次第 その2
第20回:天国の沙汰も金次第 その3
第21回:ライプツィヒ、聖トーマス教会のカントル職 その1
第22回:ライプツィヒ、聖トーマス教会のカントル職 その2
第23回:人間としてのバッハという男 その1

■更新予定日:毎週木曜日