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■ジャック・カロを知っていますか? ~バロックの時代に銅版画のあらゆる可能性を展開した天才版画家とその作品を巡る随想



更新日2022/03/10
 

 

第21回:男爵大将


1622年から1623年にかけてカロが制作した、13.7㎝×8.6㎝の判型の25点からなる銅版画集は、一般には『乞食』と呼ばれてきました。シリーズの中に物乞いをしてる人が何人もいますのでそう言い慣わされてきたのでしょうけれども、なかにはそうではない人もいますので、ここではあえて、扉絵の人物が背負っている旗に描かれている文字『男爵大将』をタイトルとすることにします。

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扉絵


BARONIは男爵、CAPITANOは隊長というような意味のイタリア語ですけれども、男爵という言葉と敗残兵のような男のみすぼらしい身なりとの対比や男の表情などを見れば、この『男爵大将』というタイトルにはちょっとしたユーモア、あるいは諧謔、もしくは愛情のようなものが感じられます。

タイトル文字はイタリア語ですけれども、カロがこの版画をつくったのはナンシーに帰ってからです。しかもこの版画にはカロにしては珍しく、版画のためのスケッチがほとんどありませんから、カロはこの版画を下絵なしで銅版に直接版刻したということでしょう。目の前の人々から受けるリアリティを重視しようと思ったのかもしれません。また作品集に描かれた人物の線はどれも力強く、カロの版画表現の一つの頂点ともいうべき作品です。

この頃のヨーロッパでは実は、カトリック勢力を維持しようとするスペイン帝国と、それを後盾とするハプスブルグ家の神聖ローマ帝国陣営と、ドイツやフランドルに興隆したプロテスタント陣営とのせめぎ合いが激化していました。フランドルはスペイン帝国の支配を脱すべくプロテスタント陣営化して、ネーデルランドはスペインとの80年戦争のさなかであり、そこに虎視眈々と勢力の拡大を図るフランスのブルボン王朝と、漁夫の利を得ようとする新教徒勢力圏にあるイギリスの目論見とが重なり合って、極めて混乱した一触即発の状態になっていました。

1618年にはハプスブルグ家支配下の、現在のチェコのあたりにあったボヘミアで新教徒派による反乱が起き、それを契機にいわゆる30年戦争が始まり、その戦火がヨーロッパ全土を巻き込んでいくことになりますが、なんとカロの故郷のロレーヌ公国は、アルザスとともにフランスとドイツとの国境にあって、大国のせめぎ合いに巻き込まれざるを得ない場所にありました。

この頃の戦争というのは、宗教対立とはいっても、半ば略奪合戦のようなもので、食いっぱぐれて従軍に応じた傭兵も多く、18話のボヘミアンたちも、定住する場所を持たない、いわば流れ者であったために、ある意味では重宝され、あちらこちらの戦いに加担したりしていました。

比較的豊かでしかも鉄や石炭などの鉱物資源や岩塩が取れるアルザス・ロレーヌは、そんな勢力争いの格好の舞台となって蹂躙され、とりわけドイツとフランスの奪い合いの渦中に常にさらされ続けた悲しい歴史を持つ場所です。

カロがナンシーに帰った頃は、ロレーヌ公国はアンリ二世が治めていて、その頃は勢力争いのエアポケットのようにしばらく平和が続いていましたけれども、30年戦争が始まるやいなや、イギリスからフランドルを抜けてボヘミアに至る街道沿いにあるロレーヌは、格好の兵糧調達地として兵士たちによる公然の略奪の被害に晒されました。既に人としての感覚が麻痺しているとなれば、略奪は食料だけでは済まなかったでしょう。ナンシーは悲惨なまでに荒廃していました。加えて冷夏で飢饉が起こり、しかもロレーヌ大公アンリ二世は凡庸で、後継をめぐるお家騒動を繰り広げる始末。カロが故郷に帰ったのはまさにそんな時でした。

ですからその頃のナンシーには、戦場から戻った人や、負傷して不自由な体になった人や、家畜や蓄えを奪われた人、家を荒らされ壊された人や、働き手を戦争で失った人などが大勢いました。華やかな花の都フィレンツェの表舞台で活躍していたカロにとって、それは驚きの情景だったに違いありません。そんなカロが描いた人たちの姿を見てみましょう。

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ハーディガーディ弾き

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後ろから見た松葉杖の人

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水差しを持った物乞い

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二人の物乞い

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松葉杖の人

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ロザリオをかけた物乞い

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病んだ物乞い

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杖をついた木の義足の人

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三人の子どもを連れた母親

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杖で体を支える人

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腫れぼったい目をした物乞い

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犬を連れた盲人

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手を開いて施しを受けようとする人

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猫を連れた物乞い

どの人もみすぼらしい身なりで、足の悪い人や病気の人、子どもを連れた母親や、吟遊詩人の楽器とされるハーディガーディを持った人も年老いた人もいます。でも、誰が好き好んで物乞いなどするでしょう。

松葉杖をついて頭に包帯を巻いた人は、もしかしたら戦場から帰ってきた人なのかもしれません。子どもを連れた母親は幼子におっぱいを含ませているように見えます。ロザリオを首にかけた人はもしかしたら宗教者だったのかもしれません。教会さえ略奪の対象となったロレーヌでは破壊された教会もありました。戦争の被害は戦場だけにはとどまりません。その影響はあらゆるところに及び、とりわけ貧しい人、体や健康を害した人など弱者たちを直撃します。

カロはこの人たちを描かずにはいられなかったのでしょう。実にリアルなペン画のような版画です。カロは、自分の目が捉えたこの人たちの姿を、実にリアルに描いてはいますけれども、その視線は彼らと同じ高さにあって、見下しているわけでも、ことさら哀れに描いているわけでもありません。それでも、この人たちを取り巻く状況が直面する重い現実がなおさらひしひしと伝わってきます。、これこそが本当の画家の仕事です。

ナンシーに帰ってはきたものの、宮廷お抱えの絵師になることもできず、かといって若い頃から版画しかつくってこなかったカロであってみれば、今更ほかに何ができるでしょう。またフィレンツェではトスカーナ大公やパリジに可愛がられ、お抱えの版画師として宮廷のハレの行事を描いてきたカロであってみれば、捨てきれない誇りのようなものもあったでしょう。

しかしこの人たちと同じように、カロもまた食べていかなくてはなりません。明日は我が身です。このような境遇にあっても、それでもなんとか生きようとしているこの人たちの姿は、カロの心に沁みたでしょう。

ちなみにナンシーに帰ってきてから、フィレンツェ時代の版画の多くをカロは復刻しています。そのためにフィレンツェ時代の弟子をナンシーに呼び寄せてもいます。原版はロレーヌ公国のものとしてフィレンツェのウフィツィ宮にありましたから、食べていこうとすればフィレンツェで評判の良かった版画を新たにつくって売るしかありません。カロは猛スピードで手元にあった版画やスケッチをもとに『きまぐれ』などの版画を改めて彫りました。

それと同時にカロは、ナンシーに戻ってから、誰から注文されたわけではなく、自らの目に画題として映った版画を描き始めています。第18回の『ボヘミアン』、第19回の『スフェサニアの舞踏』、第20回の『異形の人々』、そしてこの『男爵大将』です。

宮廷画家であれ、お抱え版画師であれ、当時の画家は基本的に王侯貴族や教会からの注文に応えるかたちで絵を描きました。とりわけ版画師にとっては、宮廷などの行事を記録するという仕事が中心であり、それこそが版画師の役割でした。

教会は宗教的権威や宗教への理解を支え補完するものとして絵画を用いましたし、王侯貴族は自らの権力や家柄や業績や歴史性を示す絵を描かせるために優れた画家を重用しました。そう考えるとカロが、芸人はともかく、被差別階級であったボヘミアンや異形の人々や社会の最下層で命をつなぐ人々を描いたことの、視覚表現史における先進性が浮かび上がります。

画家は絵を売ることで、あるいはその技量によってお抱え絵師になることで生きていくことができます。版画は油絵などに比べれば安価でしたから、『スフェサニアの舞踏』などは面白がって買ってくれる人もいたでしょうけれども、『男爵大将』で描いたような物乞いをする貧しい人や、障害者などの絵がそれほど売れたとは思われません。画題《テーマ》がいかにも暗すぎます。

ではカロがなぜこのような絵を描いたのかといえば、それは視覚表現者であるカロの目に、このような人々が、描かずにはいられないリアルな対象として映ったからにほかならないからでしょう。

そしてもう一つ極めて重要なことは、描き遺された油絵の多くが、宮殿や城や王家の人々や戦勝画や着飾った宮廷人や富豪の肖像画だったりするなかで、カロが描いた対象の特異さが際立っているということです。

社会はいうまでもなく、王侯貴族や富豪や宗教者だけで成り立っているわけではありません。職人もいれば農夫もいれば商人もいれば芸人もいれば、ここで描かれている人々のように、自らの手で生きる糧を得ることができずに、あるいは何らかの理由で働くことができなくなった人たちもいて、それでも生きていこうとすれば、物乞いをする以外にない人たちがいます。この時代のように、戦争や略奪が横行する時代ではなおさらです。そしてその人たちは、戦争で負傷したり、重い病気の後遺症だったり、老いて活力を失ったりなど、自分ではどうしようもない理由でそうなっている人たちがほとんどです。

そして彼らの存在もまた、社会的情景を構成している様々な要素の一つにほかなりません。もし自然の風景や街や建築やお祭りが画家が描くべき画題《テーマ》だとすれば、街のそこかしこに強いインパクトを持って佇む彼らもまた、自分が描き遺すべき対象なのではないかと思ったのでしょう。

そうしてカロは彼らを下書きさえせず、紙にスケッチするかのように、彼らを見つめながら銅版に直接ビュランで、彼らの存在を刻印するかのように版刻しました。それは画家が描くべき画題《テーマ》を、宗教や王侯貴族や富豪から自立させた瞬間でした。そこにカロの先進性があります。画家が、自らが描きたいと思う画題《テーマ》を描き始めるのは主に19世紀に入ってからです。今では画家は、あるいはアーティストはそのような存在だと思われていますけれども、しかしそれはほとんど20世紀に入ってからです。

お抱え絵師という定職を失ってしまったカロは、その不安の中で果敢にも画家として二つの画期的な自立を試み、そして結果的にそれを実現しました。つまり、誰からも雇われずに自らが創った版画を売って食べていくこと。そして、誰に頼まれるのでもない、自らが描くに値する画題《テーマ》を描く画家となること。そこにカロの、この時代において突出した創意と力量があります。加えて、カロのこのような版画がなければ、私たちはこの時代のこのような人たちの姿をうかがい知ることはできませんでした。そして同時に、これらの作品が、どんな時代でも存在するこのような社会の現実に思いを馳せる契機となりうるということにおいて貴重です。

その後、ナンシーから遠く離れたスペインで、一人の宮廷画家が、これからは民衆の時代だと考え、版画というマスプリントメディアで、自分が描きたいと思うものを描き、それを売って生きていくことを試み始めます。また王侯貴族ばかりではなく、社会の中にあるあらゆることは絵に描き表せるはずだと考え、さまざまな画題《テーマ》に挑戦し始めます。ゴヤが創った四つの版画集や『黒い絵』などがそうです。

そしてそれは、現在のプラドにある王家の油絵コレクションを版画にする仕事をしていたゴヤが、銅版画による表現をいち早く完成させたカロの版画、同じようにコレクションされていたカロの版画にインスパイアされたことが極めて大きかったと考えられます。ゴヤはカロの版画集と同じタイトルの『きまぐれ』からそのチャレンジを始めているからです。

つまりカロの存在がなければ、視覚表現の世界において近代の扉を開いたゴヤの傑作もなかったかもしれないと思う時、改めて、カロという存在の大きさに気付かされます。

-…つづく


 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー
第1回:ジャック・カロを知っていますか?
第2回:カロの最初の版画
第3回:ローマでのカロ
第4回:フィレンツェでの幸運な出会い
第5回:最初の公的な仕事
第6回:地獄絵図
第7回:愛のキューピットがトスカーナにやってくる
第8回:祝祭都市フィレンツェ
第9回:ジャック・カロの発見
第10回:独自の路を歩み始めたカロ
第11回:劇的空間
第12回:聖アントニウスの誘惑
第13回:版画集『きまぐれ』
第14回:トスカーナの風景
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