サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵

第 1 歌 初めて歌われるオルランドの物語
第 1 話:アンジェリーカの逃亡
ヨーロッパをシャルル大帝が統治していた頃の話。突如アフリカからヨーロッパに、異教徒サラセンの若き王アグラマンテが攻め入っていきた。これを迎え撃とうとするシャルル大帝のもとに、この物語の主人公、比類なき勇者オルランドが、はるかかなたのアジアの国の姫、絶世の美女アンジェリーカを連れて帰還した。このアンジェリーカ、一目で誰もが心を奪われるほどの美女。この美女と、オルランドをはじめとするあまたの騎士たちとが繰り広げる波乱万丈の物語を、今こそ歌い語ることにいたしましょう。


さあさあ、これから私が歌いますのは、女と男と恋と闘い、それらが織り成す奇想天外、波乱万丈の、実に不思議な物語。
ヨーロッパに君臨していたシャルル大帝の神聖ローマ帝国に、異教徒サラセンの若き王アグラマンテ率いる大軍勢が、アフリカから海を渡ってイスパニアに、そしてヨーロッパに、怒涛のごとく攻め入ってきた。
理由はほかでもない、シャルル大帝の側近の騎士、比類なき勇者オルランドに討たれたアグラマンテの父アフリカ王トロハーノの仇を討つため。
それにしても、そうして始まったキリスト教徒とサラセンの、武勇においてはいずれも劣らぬ両陣営の騎士たち、とりわけ武勇の誉れ高きオルランドのことを、どうしてこれまで誰も歌いあげてこなかったのか、と思えば私の胸の底から自ずと湧き上がる熱き想い。
それにしても武勇の誉れ高き我らがオルランド、東方の亜細亜(アジア)の大国の王の娘にして絶世の美女アンジェリーカに恋をして、恋に狂ったあげくの果てに、狂乱のやからと成り果てた挙句にしでかした所業の数々。
もちろん女にかかれば男は誰だって狂う。私にだって覚えはある、とはいうものの、オルランドの恋狂いと大暴れの度合いは桁違い。それがどんなものかは、さあ、これからのお楽しみ。その一部始終を歌い終えるまでは、私の熱情は収まらぬと承知していただき、これから皆様に、その大冒険物語を、ご披露することにいたしましょう。

さてさて、比類なき勇者オルランド、サラセン軍に攻め込まれたシャルル大帝の窮地を救うべく、東国の絶世の美女アンジェリーカを連れて大帝の陣地に帰還したのは良かったが、長い旅路の間、片時も目を離さずにいたアンジェリーカを、自陣に連れてきて気が緩んだか、ここなら安心とアンジェリーカの身柄を大帝に預け置いたのが裏目に出た。
なんと麗しのアンジェリーカがたちまち煙のように消え失せてしまったのだ。どうしてそんなことになったのかといえば、どうやらシャルル大帝の部下を思うあまりの奇策のせい。
大帝の陣営にはオルランドの従兄弟にしてオルランドに並び立つ剛勇リナルドがいたが、リナルドもまた一目見るなりアンジェリーカの美貌にたちまち心を奪われ、それからというもの何もかも上の空。
それを見た大帝、至宝の二人に陣内でアンジェリーカを巡っての決闘でもされては一大事と、アンジェリーカを誰にも何も言わずに密かに、別の場所に陣を張る側近のバビエラ公のもとに預けたのだった。
ところが運悪く、ちょうどその時、アフリカのサラセンの王アグラマンテとスペインのサラセンの王マウリシオの連合軍が、キリスト教徒陣営を急襲した。その勢いや凄まじく、キリスト教徒軍はたちまち蹴散らされ、バビエラ公もあっという間に捕虜になってしまった。
もちろんアンジェリーカも捕らわれの身となったが、そこは頭の回るアンジェリーカ、美しくはあってもか弱い女と見て油断した兵士達の隙を窺い、素早く馬に飛び乗り森の中へと逃げ去ったのだった。
さてさて、そうして森の奥へと駆け行ったアンジェリーカだったが、逃げる彼女の眼の前に、鎧兜を身に付け、剣と盾を持った騎士が、馬にも乗らずに徒士(かち)姿で現れた。それを見たアンジェリーカ、慌てて馬を反転させて森の中。なぜならその騎士は名だたる剛勇リナルド。
リナルドが徒士姿だった理由は、リナルドの愛馬、奔馬バイアルドが馬を降りて一休みしたその時に、木の幹に結んだはずの手綱が解けて、森の中に逃げたバイアルドを追って、森の中を探し回っていたからだった。
そこに現れたこの世のものとは思われぬほどの美女、しかも自分の姿を見るや否や、慌てて逃げるように駆け去った女性(にょしょう)の後ろ姿を見たリナルドは、それが一目で自分の心を奪った麗しのアンジェリーカだとすぐに気付いた。もちろんすぐに後を追うリカルド。アンジェリーカが何故リカルドを見て逃げたかは、あとで説明するとして、それより何より、ものすごい勢いて追ってくるリナルドを見て、さらに必死に森の中を逃げるアンジェリーカ。右へ左へと逃げ惑ううち、木立の茂みをふっと抜け、一本の川が流れる場所に出た。
ところが見れば、川の中に、これまた鎧兜を身につけた一人の騎士。それはサラセンの騎士マウリシオの甥のフェラウだったが、どうして川の中にいたかといえば、キリスト教徒軍との戦闘で乾いた喉を潤すため。川に入って清らかな流れの水を一口と、下を向いたその途端に大事な兜がするりと水の中に落ちてしまった。
慌てて探せど兜は見つからず、天を見上げたその時に突然聞こえたのが、空気を切り裂かんばかりの女の悲鳴、続いて森の中から馬に乗って駆け出てきた美しき女性。見ればそれはなんと、フェラウの心を、これまた一眼で虜にしたアンジェリーカ。
しめた、と思う間もなく続いて現れた敵の豪勇リナルド。どうやらアンジェリーカはリナルドから逃げようと必死の様子。これこそ千載一遇のチャンス、ここでアンジェリーカを助ければ、と胸を踊らせ、素早く剣を抜いて宿敵リナルドの前に立ちはだかった。
たちまち始まる必死の戦い。片方が胴を狙えば一方は兜をめがけて振り下ろす、激しく森にこだまする剛勇二人が切り結ぶ剣の音。どちらも歴戦の怪力無双の騎士なれば、ちょっとの油断が命取り、延々と続く丁々発止の闘い。
それを見たアンジェリーカ、必死に剣を振り回す二人に気付かれぬように、こっそりと馬に飛び乗って走り去る。それでも気付かず、渾身の力と気力で渡り合う騎士二人。さすがに互いに疲れが見えたその時、アンジェリーカがいないことにリナルドが気づいた。そこでリナルド、サラセンの騎士に向かってこう言った。

我らはここでこうして恋の炎を燃え上がらせて戦ってはいるが
しかし、我らの心に火をつけた火元の姫が見当たらぬ。
なのに、こんなところで死力を尽くして何になる。
ここはひとまず剣を収め、姫を探し出したその後に
今一度、二人で決着をつけようではないか。
確かにそれももっともと、素早くフェラウも剣を収めて馬に跨ったが、見ればリナルドの馬の姿が無い。どうやら愛馬を失った様子。ならば拙者の馬に乗るが良いと、宿敵リナルドを後ろに乗せて、二人で麗しの姫を追う。
ああこれこそ、古き良き騎士の時代の、互いを知る勇者の心意気。とはいうものの、行けどもいけどもアンジェリーカは見つからない。
さてこの続きは第2話にてお話しすることにいたしましょう。
-…つづく