第144回:マグロの味とマグロの命
更新日2010/01/28
"食は文化"とよく言われ、美味しいものの少ないイギリスやアメリカは、文化が一つ足りないと思われています。少し演繹して"美味しさと幸せ"は互いに共鳴しつつ、発展共存するものだから、美味しいものを芳醇なワインを味わいながらお腹一杯食べて、幸せな気分になっているような人が住んでいる国からは戦争は起らないし、暴力沙汰も少ないということになります。ただお腹に詰め込むだけの食事をしているから、ウルトラ・デブが増え、イライラ発散のためにどこか外へ出かけ、戦争をおっぱじめることになるというのです。
また"食は人なり"とも言います。とてもユニークな記録映画、「スーパーサイズ・ミー(Super
Size me)」の監督、自作自演をしたモーガン・スパーロックさんは、試しにファーストフードのハンバーガーを1ヶ月食べ続けたところ、体がおかしくなりはじめ、肝臓の機能が低下してしまいました。
マー、そのくらい食べ物は、私たちの体だけでなく、精神状態に影響をもたらしています。逆に言えば、精神状態、気持ちの持ち方で、私たちの"美味しさ"基準も変わるもののようです。
私の義理のお姉さんは、美味しいものに目がないうえ、研究、探索が熱心で、珍しいもの、平素見過ごしてしまうようなものの中から、逸品を見つけてくる天才です。そして私たちに薦める時には、すでに彼女自身で何度も賞味済みですから、自信を持って、「コレ、スッゴクおいし~~~の」と、口から涎(よだれ)がこぼれてしまいそうな言い回しで、いかにもおいしそうに言うのです。
彼女のお薦めは100パーセント当たりで、頭から信用しています。人に食べ物を薦める時に、つまらないものですがとか、お口に合うかどうかなどと、妙な謙遜は抜きにして、義理のお姉さんのように、確信に満ちて、とても美味しいですよ、美味しすぎてホッペが落ちても責任は負いませんよ、と薦めるのが正統だと思います。
ウチのダンナさんは、今でも時々仕事で、日本から来るエライサンと一緒に有名、高名、超一流のレストランで会食をするチャンスがありますが、そんな気取ったところで食べるより、気の合った人と牛丼かラーメンを食ったほうが良いなどとアンチグルメ宣言をしています。
私はマグロ、特に中トロが大好物です。目をつぶって、このマグロは、キハダ、クロ、メバチと言い当てる自信はありませんが、寿司飯と丁度良いバランスで、僅かにワサビを効かせた握りは、最高の芸術だと思っています。豪華に大きすぎる大トロより、やはり中トロの方が味わいがあるように思うのです。
来年のマグロの漁獲量は、40パーセント削減で合意になりました。このまま放っておくと、マグロは絶滅してしまうとまで言われています。1950年にはマグロ漁獲量は60万トンでしたが、昨年は600万トンと10倍も漁っているのです。マグロの母船はヘリコプターを飛ばし、広範囲をカバーする魚群探知機を使い、マグロを追いかけているそうです。1950年代までは日本の独壇場であった遠洋漁業に韓国船が加わり、今では2百海里の漁業占有海域などの規制と、そんなに儲かるなら、俺もやるとばかりに、どこの国でもマグロ漁に乗り出してきています。
その裏で日本の商社が動いていると、マグロに関して、日本はもっぱら悪役です。もちろん採れたマグロは、高いお金を払ってくれるところに売るのは商売上当たり前のことですから、金額では90パーセントは日本に売られています。それで日本だけが悪者扱いされてしまいます。
確かに金額で言えば、水揚げの90パーセントは日本が買っていることになりますが、実は鮮魚としてお寿司、お刺身になるマグロより、缶詰めになるマグロの方が多いのです。西欧で売られているマズイ水煮、油漬け缶詰になるマグロが60パーセントを占め、お鮨、お刺身になるのは40パーセントを少し上回る程度なのに、日本だけがバッシングされているのです。
それに、昔から日本人がマグロを殺戮し生で食べていたというのも、西欧人が抱くウソ、偏見です。江戸時代まで、マグロは下品な安い魚とされていて、お刺身やお寿司には全く使われておらず、たまに網にかかっても肥料にしかならなかったと言います。
今では私たちが住んでいるコロラドの山の中の小さな町にもお寿司屋さんが4軒もあり、グルメ食品スーパーでも、「寿司グレードのマグロ入荷」などと宣伝するほどになってしまいました。安い肉とポテトだけしか口にしたことがない田舎の人たちが、海産物の味を知り始めたのです。
日本の大きな間違いは、資源の限られた美味しい海産物、マグロ、お寿司を世界中に知らせ、広げてしまったことではないかしら。あれはこっそりと、日本だけで食べているべきでした。
第145回:何でも世界一の国、アメリカ