第146回:立派な研究と過去の人
更新日2010/02/11
先日、人類学者のレヴィ・ストロースが100歳の高齢で亡くなったという記事を読み、アレッ、まだあの人生きていたのと、彼の死を悼むより先に、驚いてしまいました。
こんなことが、高名な人にはよくあります。もうとっくの昔に死んだ、歴史上の人物だとばかり思っていた人の訃報に接し、初めてアラマーこの人まだ生きていた、現世の人だったのかと思い知らされるのです。
川端康成が1972年にガス自殺した時にも、まだ生きていたことに驚かされました。彼の死よりズーッと前に、英訳ですが『伊豆の踊り子』『雪国』など、古い日本を背景にした、淡い物語を読んでいましたので、なんとなく昔の人だと思い込んでいたのでしょう。まさか、紫式部が生きているとは思っていませんでしたが、歴史を図るとても浅い測深義しか持ち合わせていないアメリカ人の典型で、明治中期も江戸時代も平安時代も、"昔"で一つにくくってしまっていたのです。
サモアの研究で有名なマーガレット・ミードも1978年まで生きていましたから、私が文化人類学の一分野、文化言語学、社会言語学に興味を持ち出し、ヨチヨチ歩きで言語学の方に顔を向けて歩き出したときに、まだ彼女は生きていたのです。私の方は、マーガレット・ミードの本を旧約聖書のように古い書物だと思っていたのです。
若くして、立派な研究をして功績を残すと、その時点から歴史上の人物の額縁に入れられてしまうのかしら? そんな額縁に入れられるのを嫌って、私が未だに立派な研究を何もしていない…わけではないのですが…。
レヴィ・ストロースは、学者の書いたエッセーとしては空前のベストセラーになった『悲しき熱帯』で世界中に名を知られるようになりました。でも、彼が日本に対し特別な感情、初恋の人をいつまでも思い続けるような豊かな詩的感情を持っていたことは案外知られていないようです。彼に言わせれば、少年時代、彼は(彼の魂はと言った方が当っているかな)日本にあったそうです。
彼のお父さんが絵描さんであったところから、広重の海辺の絵を貰い、浮世絵に引かれたのは、たった5歳の時だったそうです。それから壁中に浮世絵を張り、日本の人形やオモチャの家具などで異郷への想像を掻き立てていたそうですし、大人になり、自由に使えるお金ができてから、刀や鍔(ツバ)を何十枚も収集したといいます。若い時に豊かな感性と情緒を持ち、発展させることが将来の偉大なフィールドワーク、研究に無形ですが、大きな影響を及ぼしていたと言ってよいでしょう。
少年、レヴィ・ストロースが日本に触れたことは、彼にとって幸運なことだったし、地球の裏側に住む少年の心を深く感動させるような文化を持つ日本が、後のレヴィ・ストロースに功績をもたらしたと言ってよいでしょう。
私が構造主義を明確に理解しているとは言えませんが、レヴィ・ストロースは単に西欧的文明の発展をよしとする、西欧至上主義的な考えとは別の価値観、非西欧的な未開人の生活にも独自の機能、秩序、構造があると詩的な表現で教えてくれたのです。
レヴィ・ストロースさん、少女だった私に人類学の目を開かせてくれたのに、とっくの昔に死んでいたと思い込んでいて、ごめんなさい。
心からご冥福をお祈りします。
第147回:ハイチの誘拐事件