第148回:「鬼は外、福は内」
更新日2010/02/25
トヨタのリコール問題でアメリカが大騒ぎをしているとき、アメリカのマスコミは、「日本の新聞はトヨタのリコールより、横綱朝青龍の問題の方に多く紙面を割いている」と非難がましく論評していました。このところ、アメリカのマスコミもアフガニスタン戦争より、タイガーウッズ選手の私生活や復帰に過大な紙面を割いているのですから、あまり偉そうなことは言えないはずなのですが。
それにしても、今回の朝青龍の引退劇はあまりにも日本的藪の中で、外国人には全く理解できない事件です。
まだ、傷害事件があったのかどうか、刑事的な責任があるのかどうかすら、警察でも、相撲協会でも明確に判断していないのに、相撲協会の理事会が引退勧告を出し、朝青龍がそれを受け入れる形で引退したというのです。
私たちヨソ者の目から見ると、もし傷害事件があったなら、逮捕し、裁判を受け、刑に服さなければ法治国家として成り立たないことになります。その判決を受けて、相撲協会が朝青龍を会則に基づいて処罰するのがスジです。
もし、逮捕も裁判もないのなら、疑わしきは罰せずという、民主主義の止むを得ない鉄則に従うほかないのです。調査委員会は、「暴行の事実は確認できなかった」とコメントし、すでに解散してしまいました。早く言えば、朝青龍が辞めてくれれば、後はどうでもよいという態度です。
さらに分からないのは、相撲協会が朝青龍に1億2,000万円の退職功労金を払うという話です。ということは、刑事事件があったかどうかは知らないけど、早く素直に相撲協会から出て行ってくれたから、お土産をあげましょうということなのかしら。朝青龍が目に涙をためてはいましたが、「相撲に悔いはありません」と潔く去って行ってくれたことの御礼なのかしら。
没個性のお相撲さんのなかで、天真爛漫な性格をむき出しにした朝青龍はとてもユニークな存在でした。高見盛の人気は、あの気合の入れ方、そして負けたときの今にも泣き出しそうな表情に負うところが大きいと思います。感情を思い切り表情に出すことは決して恥ずべきことではありません。
相撲協会や横綱審議会は、「体面と品格」を汚されることを最も恐れているように見受けられます。
でも、はじめからスポーツの選手に人格を求めるのは、「ないものネダリ」というものです。ましてや十代の半ばから土俵の中しか知らずに生きてきた30歳前の若者に対して、品格だ、体面だ、伝統だと押し付ける方が間違っているのです。タイガーウッズにしろ、小さな玉を棒で叩いて穴に入れるのがいくら上手だからといって、子供たちのお手本になるような人格が備わってくるものではないでしょう。
どうも、相撲界は「既得権という名前の伝統」にしがみついているように見えるのです。自分たちの立場を危うくするものは、すべて排除してしまえという態度が見え見えなのです。これが、朝青龍、一人で横綱を張っている時代なら、こう簡単にクビを切るようなことはしなかったでしょう。相撲協会全体が朝青龍におんぶにダッコしてもらっていたのですから。
第四代目の高砂親方、前田山も些細なことで詰め腹を切らされています。しかし、彼はそれから海外に目を向け、ハワイからジェーシー・高見山を連れ帰り、沈滞した相撲界に新風を巻き込む原動力になり、ハワイ出身力士ブームの口火を切りました。朝青龍にも相撲に限らず何らかの形で日本とモンゴルの架け橋になってもらいたいと思っています。
そして、私たち外国人が日本でいつも対面する、「外国人には分からない」「これは内の問題だ」という奇妙な感情は、コミュニケーションを妨げることにしかならないことを知ってもらいたいのです。一種の人種差別と言ってよいでしょう。
日本人の中にしっかりと残っている「内と外」の心理を、私は「鬼は外、福は内」心理と呼んでいますが、それがある限り、相手にも理解してもらえなし、日本人が他の文化を理解する妨げにもなっているのです。
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