方丈記 第八回
また同じ頃、凄まじい大地震が起きた。その有り様は、この世のこととは思われないほどで、山が崩れて河を埋め、海は、海そのものを傾けたかのように水が陸地を浸し、大地が裂けて水が噴き出し、岩山が割れて谷間に転げ落ち、水の上を行く船は波間に漂い、道を歩く馬でさえ、どうやって立っていられるかがわからなくなってしまうほどだった。
京の都の周辺は、どこもかしこも、仏舎利を収めてある堂舎塔廊(どうじゃとうろう)でさえ、一つ残らず全て、あるものは壊れ、あるものは倒れるありさまで、辺りいちめんに塵や埃が舞い上がり、さかんに燃えさかる火事の煙のよう。大地が動く音、家が崩れ落ちる音はまるで雷が落ちたかのようで、家の中に居たのでは、今にも家が崩れて生き埋めになりそうで、かといって表に走り出れば、大地が裂ける。鳥のように羽根があるわけではない人々は空に飛び逃げることもできない。もし龍であれば、雲を呼んでそれに乗って逃げただろう。この世に恐いものはいろいろあるけれども、そんななかで最も恐るべきものは、地震をおいてほかに無いと、つくづく思い知ったことだった。
そのようなとんでもない揺れは、しばらくして収まったけれども、その余震はしばらくなくなることがなく、普通なら誰もが驚くほどの強さの地震が、一日に二、三十回ほど無い日はない。十日が過ぎ、二十日が過ぎて、ようやく地震の間隔も長くなり、強い揺れが、一日に四回か五回、あるいは二、三度となって、やがて一日おき、あるいは二、三日に一度になって、三ヶ月も過ぎた頃、ようやく、大地震の余震の揺れも収まったと思われた。
天地をかたちつくる、四つの要素のなかの、水、火、風は、しょっちゅう災害をもたらすけれども、大地というのはめったに異変がおきないだけに始末が悪い。
昔、たしか齊衡(さいこう)の頃だったと思うけれども、大地震が起きて、東大寺の大仏の頭が落ちるなど、なんとも悲惨なことが起きたことがあるけれども、それでも今回の地震ほどではなかったという。それでもその時、人々はみんな、この世をはかなみ、人の力ではどうにもできない情けなさを、さかんに口にしたりして、すこしは、人間が心の内に持つ濁(にごり)、すなわち諸々の欲や執着などが、やや薄まったかのように見えたけれども、月日が過ぎて、何年かが経ったのちには、そのようなことをわざわざ言葉にして言う人さえ、全くいなくなってしまった。
※文中の色文字は鴨長明が用いた用語をそのまま用いています。
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