方丈記 第十三回
また、庵のある山のふもとの方に一軒の、柴でつくった庵がある。そこには、この山の山守が住んでいて、小さな子どももいる。私の庵にもときどき遊びに来て、特にすることなど無くて、ひまな時には、その子とを友だちにして遊んだりもする。
その子は十歳で私は六十。歳はずいぶんと離れているけれども、その子と遊べば、互いに同じように楽しんで、年の差などというものはあまり関係がない。食用にもできる芽花(つばな)を摘んだり、小さくて白い実を付ける岩梨や、山芋の実である零余子(むかご)を採ったり、芹を摘んだりもする。また山裾の田んぼに行き、いっしょに落ち穂を拾い、それを組み合わせて、いろんなものをつくったりもする。
天気の良い日には、峰に登り、遥かかなたの、故郷の京の方を望み見れば、小幡山(こばたやま)や伏見(ふしみ)の里や、鳥羽(とば)や、羽束師(はつかし)などが見える。そうして美しく見える景勝地というものには、それを所有する人などいないので、いくらそれを見て楽しんだところで、不都合などあるわけもなく、咎められる筋合いもない。
歩くことが煩わしく感じられずに、なんとなく遠くにまで行きたいなと想うような時には、峰伝いに、東の方の炭山(すみやま)を越え、笠取(かさどり)も過ぎて、石間(いわま)の寺に詣でて、石山を拝んだりすることもある。またある時には、粟津(あわず)の原に分け入って、蝉歌(せみうた)の翁(おきな)の遺跡を訪れたり、田上河(たなかみがわ)を渡って、猿丸大夫(さるまろもうちぎみ)の墓を訪ねたりする。その帰りには、桜狩りでもと思って桜の花を愛でたり、紅葉(もみじ)を求めて山に分け入ったり、蕨(わらび)を摘んだり、木の実を拾ったりなどして、家に戻れば、それらを仏壇に供え、また日々の暮らしに用立てたりもする。
※文中の色文字は鴨長明が用いた用語をそのまま用いています。
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