枕草子 第六回
その六 おなじことなれど
おなじことなのに、聞く者によって違って聞こえるものは、法師の言葉、男の詞(ことば)づかい、女の詞づかい。下衆の詞づかいには、言われた言葉以上の意味がある。
その七 思わん子を
もしも、大切に思っている子を、法師にしなくてはと思っていることほど、心苦しく、可哀そうにと思うことはない。
なにしろ法師が、どこにでもある木の一切れのように思われているのが、とってもかわいそう。
精進料理みたいに、美味しくもないものを食べなくてはならないし、グッスリ眠ることだってままならない。若い時には、どんなことにだって興味を引かれものなのに、女の人がいたりすると、まるで忌わしいものでもあるかのように、見ないようにしながらついちらっと見たりなどもして、そうすると、それは心に安らぎがないからだと言われてしまったりする。
ましてや、修験者などは、さらにさらに息苦しくも大変で、疲れてついうっかりうとうととしようものなら、寝てばっかりいるんじゃない、と怒られてしまう。なんて生きづらく狭苦しいところでしょう。
まあ、そうはいっても、修験者が大変なのは昔のことで、今はずっとずっと楽ですけどね。
※文中の色文字は清少納言が用いた用語をそのまま用いています。
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