枕草子 第七回
その八の一 大進生昌
私がお仕えしている中宮定子さまのご実家すじの、大進(だいじん)の職に就いておられる生昌(なりまさ)さまのお屋敷に、中宮さまが、出産のご準備をかねてお出向きになられたときのこと。当然、車で中まで入るところが、四脚門のところで、御車(おくるま)を降りて、興(おこし)に乗って入らなくてはならないことになってしまった。
行事があるときのように、お公家さまたちが列席されておられるということはないので、中宮さまも私も、女房たちも車に乗ってお屋敷に入ろうと思っておりました。
だから、人目を気にして髪の毛をなで付け、ちゃんと化粧をしたりなどもせず、身なりも普段着のままできてしまったのに、お屋敷に車をつけて、誰にも見られずに車を降りて中に入るはずのところが、白い薄布で覆った檳榔毛(すくねげ)の車が、門が小さいために中に入れない。
しかたなく、蓆むしろである筵道(えんどう)を敷いて家に入るはめになってしまったのが、苦々しくも憎らしく、ほんとうにもう、殿上人(てんじょうびと)の生昌さまともあろうお方が、いったいなんとしたことでしょう。車を降りて筵道を歩く姿を、ずらっと立ち並んだ下々の者に見られたりなどして家の中に入ったけれど、いまいましいったらありゃしない。
家の中に入ってから、あんまり悔しくて、何とかおっしゃってくださいよ、と中宮さまに申しあげると、家の中のここにいたって、こうしてほら、みなさまに見られているじゃありませんか、どうしてちゃんと身支度なさらなかったの、うっかりなされたの、とお笑いになる。
だって、お会いするのは、いつも私たちのことを見慣れている方々なんですから、今日に限って、私が、あらたまって化粧をしてきたりなどしたら、びっくりなさるじゃありませんか。それにしても、このようなお方の家なのに、車が通れない門というのはあんまりです。お会いなさったときに、お笑いになってやって下さいませ、と言っているtきに生昌さまがおいでになり、この硯をお使い下さい、などと言う。
そこで私が、本当にしょうがありませんね、どうして門を、こんなに狭くおつくりになられたのですかと言うと、生昌さまは、身の程に合わせて家をつくったらこうなっちゃったんだよ、とお笑いになる。
そんなことをおっしゃっても、昔から、家を建てる時は、子どもが出世して大きな御車に乗って来られるように、門は大きくつくるようにと、言われているじゃありませんか、と申しあげると、
いやあ参った参った、と驚かれ、それは宇帝国(うていこく)の諺(ことわざ)じゃないか、そんなこと、漢文に詳しい、古(いにしえ)の時代の科挙の試験に受かった進士くらいしか知りませんよ。私はたまたま、そういう道に詳しいから判りましたけど、今では誰も知りませんよ、などとおっしゃる。
あらまあ、その道だってどれほどのものでしょうね。あの筵道(えんどう)を敷いた道だって、なんだかでこぼこしていて、転びそうになったじゃありませんか、と言うと、
そうだねえ、雨が降ったから、そうなっちゃったのかなあ、どうもこの様子では、まだまだおっしゃりたいことがたくさんありそうですから、私はこのへんで、と言って席を立った。
そのあと中宮さまが、あなたどうかなさったの、生昌さまが、恐がっておられたではありませんか、とおっしゃられたので、あらそうでしょうか。わたしはただ、門が狭くて御車が入れなかったと、そう申しあげただけですけど、と言って自分の部屋に下がったのだった。
※文中の色文字は清少納言が用いた用語をそのまま用いています。
|