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■よりみち~編集後記

 

更新日2011/04/14


福島原発事故がチェルノブイリ事故と同じ「レベル7」に格上げ?された。原発事故ではレベル7以上は今のところないので、世界最大級の大事故と日本政府が自ら認めたのだが、事故発生から1ヶ月後というこのタイミングは遅すぎたのではないだろうか。各国の原発の専門家から見れば、やっと日本がチェルノブイリ級であることをカミングアウトしたという感じではないだろうか。それでも、未だに日本の原発関係者は、チェルノブイリとはレベル7で同じだが、被害は10分の1程度だから、それほど心配はいらないと強調しているのだが、アメリカの原発専門家の中には、いやいや実際にはこれだけ長期間に亘り放射能漏れが続いており、さらに終息の目処も見えない状況では、死者は出ていないだけで、放射能汚染の数値的にはチェルノブイリを超えていると警告する学者もいる。
徐々に見えてきたのは、国民のパニックを恐れるあまり、できるだけ数値発表を楽観的な表現で抑え、健康被害がすぐに起こらないことを強調することで、マスコミが騒がないように調整してきていることだ。確かに、危険なレベルにある地域の人たちがパニックに陥ることは大きな問題だし、うわさが一人歩きする可能性があることも事実だろうが、当事国の日本国内よりも海外に流れる情報の方がより正確だったこと(気象庁が計測している放射能計測は日本では公表されず、IAEA国際原子力委員会に送られていて、その数値が日本政府の公表よりもかなり高い数値であることが判明)や、放射能の暫定基準値が今回の事故後、明らかに改訂されており、さらに放射能汚染が進行している現状に対応できるように基準値をさらに上げようとしている動きがあることは、ご都合主義と言わざるを得ない。それもすべて国民のパニックを回避するための手段で、日本の役所の事なかれ主義の典型がこの放射能の問題にまで及んでいるということだろう。役人たちの考えていることは、どうせ放射能の汚染の影響は10年、20年が経過しないと分らないから、今ここで事を大きくしないことが重要で、問題が現実になるときには、どうせ自分は引退しているし、もし役所に在籍していても、最善を尽くしたのだから責任は問われないと思っているのではないだろうか。その証拠に、必ず放射能汚染の数値を発表する際、直ちに健康被害が起こるような状態ではなく、一度に大量に体内に入らなければ問題はないという言い方をすることだ。何年か後に奇形児の出産が増え、小児の甲状腺異常や甲状腺癌の多発などが明るみに出た場合には、きっと想定外だったとか、専門家の意見を聞いての判断だったとか、結局のところ誰の責任も問えないというのが、日本の行政の仕組みなのだ。
特に今回の原発事故は、全く姿が見えない放射能という敵だから始末が悪い。目に見えるものであったり、すぐに影響が判断できるモノであれば、認識を統一できるし、指摘も簡単だろうが、頼りは数値のみ、それも過去の原子爆弾投下での広島・長崎での経験やチェルノブイリでの経験以外の症例はなく、今回のような長期間放射能汚染が継続する事態は初体験なのだから、推測や予測でしか判断ができないという問題があり、すべて時間が経過しないと結果は見えてこないという恐ろしい現実がある。ただし、これまでに研究を重ねてきた放射能被爆の恐ろしさは誰でも分っていることで、ただちに健康被害は出ないが、明らかに健康に悪影響を与える物資が漂っていたり、海水や土壌を汚染している現実があり、少なくとも未来を担う子供たち、これから生まれてくる子供たちを守れなければ日本の未来はないことは明白である。日本の政府、役人が20年後の日本の未来のことをどれだけ真剣に、自分のこととして考えているかを今問われているのだということを肝に命じて的確で迅速な判断をして欲しいものだ。
それにしても、驚くのは日本の英知とはこんなものなのかということである。これが原子力先進国とアジア諸国に原子力技術を売り込みに行っていた国のやっていることなのだろうか。想定外、予想外の地震と津波だったとする原子力村社会で生きてきた学者さんたちは、最近言われているように、電力会社に金と地位で囲われた御用学者たちばかりだったのだろうか。この原発事故を未曾有の大地震と津波による天災と考える人はもういないだろう。明らかな人災であり、日本の原子力業界の大失態だ。当然のことながら東京電力という会社は政府管理会社になるだろうし、全国の原子力推進の電力会社は政府の管理下で出直しをせざるを得ないだろう。先日、ラジオで聞いた話で福島原発の恐ろしい実態が見えてきた。実は福島原発ができた頃、地震の専門家などから、現状の防波堤では大きな津波が発生した場合に高さが不足しており、防波堤補修を指摘されていたのだが、当時の東京電力の判断は、もし津波対策のために防波堤を改修すれば当初の原発計画が杜撰で、間違っていたことを内外に認めることになるので、防波堤工事などは行わないというもので、これは恐ろしい話だ。天災からの危機管理よりも、自分たちへの批判を回避し、原発計画の推進と妥当性を選んだというのだ。防波堤改修を指摘した当時の学者は、今回の大惨事をある程度予測できていたわけで、もしもは歴史にはないのだが、防波堤の改修ができていたらと思うと残念でしかたがない。

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO

 

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