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■よりみち~編集後記

 

更新日2015/09/17


2015年09月17日、参議院での強行採決により、戦争法案がますます現実化してきた。ここまで自民公明が一枚岩で突き進むとは思っていなかった。党内で正式に反対を表明しているのは村上誠一郎氏ただ一人ということに驚くばかりだ。これだけ憲法違反だと騒がれ、ほとんどの憲法学者、法律の専門家、文化人、作家、全国の大学、元最高裁判所裁判官、元内閣法制局長までが違憲で、平和国家を揺るがす危険な戦争法案を廃案にすべきだと声を揃え、連日国会議事堂前に市民デモが押し掛けているにも関わらず、どこ吹く風で淡々と法案を強引に通過させようとしている安倍政権に対して、今後の国会運営が心配になるほど不気味な様相となってきている。過半数で圧倒できる今なら何でも変えてしまえるという腹黒い企みが国会内に充満している感じがする。

安倍晋三という人は、「昭和の妖怪」と呼ばれた日本国第56、57代総理大臣であった岸信介というA級戦犯の生残り組であり、復古主義の憲法改正論者だった祖父の影響をよほど強く受けて育ったのだろう。昭和29年生まれの60歳という世代ではとても珍しい軍国少年だったようだ。私自身も昭和30年生まれで安倍さんと同い年なのだが(安倍さんと同年代というのが今はとても恥ずかしい)、なんでこの人だけここまで右巻きなんだろうと不思議でならない。子供時代に洗脳されないと、ここまで立派な軍国少年にはなっていなかったはずである。英才教育?なのか岸の娘だった母親・洋子さんが岸信介を崇めていたことは間違いないだろう。大叔父には後の首相・佐藤栄作という政治家一族の正にボンボンとして育ったわけだ。

その祖父である岸信介は下記の記事にあるように、60年の新安保条約をアメリカと締結して、アメリカの占領軍のままの駐留を認め、正に属国化を承認した首相となり退陣しているわけで、安倍総理はまるで岸信介の亡霊に支配されているように、戦後70年間ひたすら守り通してきた日本の平和憲法を閣議決定だけで修正し、戦争法案をゴリ押しに承認させようとしている。岸信介のやり残した「自主憲法の制定」をして、日本に正式な軍隊を構築して戦前の体制に戻すという懐古趣味に取り憑かれているとしか思えない。
<法学館憲法研究所より抜粋>
45年9月、岸はA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収監されました。しかし、アメリカの対日政策が大きく転換(逆コース)、多くの戦犯と共に不起訴となり釈放されます。さらに、52年4月、単独講和条約の発効に伴って公職追放解除になりました。直後に復古的な「自主憲法制定」を最大の目標に掲げることを主導して「日本再建連盟」を設立、翌年には衆議院議員になりました。56年の自民党総裁選では巨額の資金をばらまき、金権総裁戦の原型を作りました。首相は60年の安保国会後に退陣しましたが、以後も田中角栄と並ぶキングメーカーとして、89年に90歳で没するまで政界に隠然たる影響力を及ぼし、「昭和の妖怪」と呼ばれました。岸の政治の最終的な目標は最初から最後まで「自主憲法の制定」でした。

自民党の議員が何故に安倍内閣に反撥できないかは、次期総選挙時の協力体制による一種の脅迫だろうと思われる。反旗を翻した途端、その選挙区には刺客が送り込まれ、選挙資金が絶たれ、自民党公認も得られないというナイナイずくしとなり、自民党を離れるしかなくなるのだろう。それでいて、野党に鞍替えしようにも、とても勝てそうな政党もなく、今はひたすら安倍さんのご機嫌取りをしながら、忍耐の日々を送っているということなのかもしれない。しかしながら、60%以上の国民が「NO WAR」「NO ABE」を主張し、80%近くが今の自民党の戦争法案を理解できないと言っているわけで、次期総選挙時に自民公明がどのような風当たりになるかは明らかで、とても自分が自民党のj候補者で、戦争法案に賛成ですなどと言える状況にないことは分かっているはずだ。間違いなく自民公明そして次世代も元気も改革も惨敗は見えている。この戦争法案が国会の「踏絵」となり、日本がかつて望んでいた二大政党化に突き進むかもしれない。早く総選挙をして欲しいところだが、とりあえずは最高裁での戦争法案の違憲訴訟を早急に開始して、最高裁で法案差し止めを狙うことから堀を埋めていくしかないだろう。(越)

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO

 

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