第45回:人類最初の芸術、アルタミラへ(2)
更新日2003/09/04
「お父さん、上を見て! 上を(アルタ)、見て(ミラ)!」 そんな少女の叫びが、洞窟の名前としていまも残っているのだ……。なんて説もあるほど、アルタミラの洞窟壁画発見にまつわるストーリーは、ドラマチックである。
1868年、スペイン北部のカンタブリア地方。サンティジャーナ・デル・マルという村の近くで、ある猟師が、偶然に洞窟を見つけた。その当初はこの洞窟、「フアン・モンテロ」と呼ばれていたらしい。このときはまだ、内部の壁画は発見されていない。
それから11年後の1879年、この洞窟を、マルセリーノ・サインス・デ・サウトゥオラ氏が訪れる。この人物の説明は資料によってだいぶ異なっており、カンタブリア地方の郷土学研究者だとか、いやこの地域の森にユーカリの木を移植するプロモーターなのだとか、そうでななく近郊の大都市サンタンデルのエンジニアであるとか、はたまた古美術のコレクターだったのさ、とか。つまり、どこのだれやらようわからんひとだったのだな、おそらく。ナントカ伯爵とかナントカ侯とか偉いひとじゃなくて。
それまでもマルセリーノ氏は、何度かこの洞窟を訪れていたのだという。「ここには、なにかあるに違いない」、そんな確信を持って。だからこの日は、8歳になる娘のマリアを伴い、たいまつを手にずんずんと洞窟の奥へと進んでいった。
「お父さんっ!」 そのとき、マリアが急に叫んだ。「お父さん、見て! 上よ、上を見て!」 マルセリーノ氏は、慌てて娘の指差す方へとたいまつを向けた。「こ、これは……っ!」(ちょいと劇画調すぎたか?) 氏もまた、声にならぬ声を上げた。揺らめくたいまつの炎の先に浮かび上がったのは、壁一面を埋める赤い牛の絵だったのだ。1万5千年前の芸術が、長い眠りを経て、再び歴史の表舞台に姿を現した瞬間であった。
この偉大なる発見を、世界は、……すっかりバカにした。当時の権威ある学者は、ことごとくこの信憑性を否定。「旧石器時代? そんな野蛮な時代の人類がこんな美しい絵を描けるはずがないだろう?」というのが、一般的な見解だったのだという。失意の中、発見から9年後にマルセリーノ氏は息を引き取る。あぁ、ついてねーぇ!
ところがそれから数年のうちに、フランス各地で同じような洞窟壁画が次々と発見される。これをきっかけに再評価が進み、壁画は間違いなく旧石器時代に描かれたものであると認められた。あの洞窟壁画は、やはり、人類の歴史を大きく書き換える重要な発見だったのだ。あぁ、そういうのさぁ、死ぬ前に認めてほしかったよねぇ。
それからこの洞窟は、少女マリアのあの日のあのことば「上(アルタ)、見て(ミラ)」から取って「アルタミラ」と呼ばれるようになった。という説もあれば、見晴らしの良いこの一帯はもともと「アルタミラ」と呼ばれていたのさ、という説もある。話として面白いのは、前者なのだけどね。
そんなアルタミラの洞窟があるのは、スペイン北部カンタブリア地方。私のジカタビ魂は、もちろんカンタブリア行きを激しく求めた。しかーし、8月後半、カンタブリア地方は連日の雨が続く。もうかれこれ2週間も毎日天気予報と睨めっこしているのだけれど、なかなか晴れてくれやしない。
ジリジリしてばかりいても仕方ない。とりあえず、まずはマドリードの国立考古学博物館へ行くことにした。マドリードは、カラカラの好天。
入場料は、3.01ユーロ(約400円)。「その0.01っちゅうのはなんやねん!」とむず痒い気持ちになるひとも多いと思うが、旧通貨で500ペセタだっことの名残りである。ユーロに移行した際に、「えぇいもう3ユーロちょうどでええやん」とはしなかったのだね。スペインなのに珍しい、と思いきや、実際の窓口では3ユーロだせばOKなことがほとんどだ。
博物館の展示内容は、先史時代からキリスト教時代まで。ざっと書くと、石器→フェニキアやギリシア文化→ローマ文化→西ゴート族(ゲルマン系)→イスラム教文化→最後にキリスト教文化。ハァこの土地には多様な文化が栄えてきたのね、と、いまさらながら溜め息。
ところで展示室も最後のあたりに、なんだか腕が太くてやけにバランスが悪い像がある。これ実は、ペドロ1世(残酷王)のもの。14世紀に実在した王で、漫画『アルカサル‐王城‐』(青池保子)のモデルである。係員さんに「日本にはペドロ1世をモデルにした漫画があるんだよ」と言ったら、えらく驚かれた。考えたら、日本に来たスペイン人に「ワタシ、真田幸村、スキデス」と言われるようなもんだよな。そら、驚くわ。
さて、こうして展示を一通り見終わっても、まだ門を出てはならない。なぜなら庭に、目的のアレがあるから。
アルタミラの洞窟壁画の、レプリカ。なんと庭の下に、洞窟を再現しているのだ。ドキドキしながら階段を降り、薄暗い室内を奥へと進む。中は静かで、真夏なのに鳥肌が立つほどひんやりしている。ベンチに座り、天井を見上げた。暗い室内に、強すぎない灯りに照らされて、赤い牛がゆらりと浮かび上がっている。それを、じいっと見つめた。
アルタミラの洞窟壁画は、フランスのラスコーとともに「人類最初の芸術」として有名である。生活のために必要だとかそういう理由ではなくて、かたちをとどめるというそのこと自体への情熱、あるいは狩猟の成功を祈るという宗教的な動機によって描かれたものだから、「芸術」と呼ぶべきものなのだそうだ。
46億年前に地球ができて、500万年前に人類が誕生して、1万5千年前に芸術が発生したんだなぁ。私たちが三葉虫だったころ、あるいはサルだったころ、あるいは「ミトコンドリア・イブ」と名づけられたアフリカの女性だったころは、まだ生きるのに精いっぱいだったのだよね。それがやっと1万5千年前になって、わりと食料も豊富に確保できるようになって、「ん、絵とか、生きるのに別に必要ないんだけど、いっちょ描いてみるか」と思えるようになったということだろうか。
あぁ、なんか本当に本当に長い間、私たちは「ただ生きていた」のだなぁ。その後「ちょっとでも楽しいように生きる」ことをしはじめた転換点が、アルタミラの洞窟壁画で、芸術のはじまり、なんだって。
なんだか頭がクラクラッとなってきたので、立ち上がって地上に出た。ちくしょう、上手かったなぁ、あの牛の絵。間違いなく、私よりも上手いって。1万5千年も前なのによ? 私っていったい……。
ちょっとやっぱり、行くぞ、アルタミラ。といっても、来週も前半は雨の予報となっている。果たして次の更新では、無事にアルタミラ訪問記がアップされるのか? 乞うご期待。うぅ、こんなに追い込まれたのははじめてだぜ。
-つづく…
第46回:人類最初の芸術、アルタミラへ(3)