第407回:暗闇の帰宅列車 - 東北本線~北上線~奥羽本線 -
盛岡駅から東北本線を南下し、北上から北上線に乗り換え、終点の横手から奥羽本線に乗り継いで秋田へ向かう。今日の宿は秋田である。その行程を確かめようと、旅程表を眺めた私は愕然とした。
盛岡駅に到着
盛岡着16時41分。定刻通りである。
盛岡発15時07分。1時間以上前だ。乗れるわけがない。
明らかに私のミスだ。いったいどうしてこんな旅程を作ってしまったのだろうか。ちなみに、この先の予定は横手着17時25分である。今日の日没予定時刻は18時04分で、この日程を作ったときは、北上線の車窓をぎりぎりで見られると思っていた。次の盛岡発は17時00分である。北上線の乗車中に日没になってしまう。
「Mさんゴメンナサイ。日程間違えてました」
「あ、そうなの」
あんまり気にしていないようである。怒りを表情に出さないタイプかもしれない。そういえば、会社で机を並べていた時期も、彼が怒ったところを見たことがなかった。こういうタイプが実は怖い。でも、私にも言い分はある。もともと彼には旅程表をメールで送ってあって、彼も気づかなかったからである。何度か変更をして、そのたびに確認してもらった。
チェックを逃した人も同罪。これは出版社のルールでもある……とはいえ、やっぱり私が悪い。先輩と後輩では後輩が悪い。それが現実というものであった。
「今日じゅうに秋田につけるの」
「はい。夜遅くなりますけど」
「それならいいよ。ホテルを変更しなくて済むし」
寛大な先輩でよかった。
東北本線を南下。まだ明るい
先輩は寛大だが、太陽は容赦なく降りていく。17時00分に盛岡を発車した電車が北上駅に着いた時刻は17時52分。次の北上線は18時25分発。すっかり暗くなってしまった。ホームには帰宅する学生と勤め人が並んでいた。列車は花輪線と同じキハ111形ディーゼルカー2両編成だけど、雰囲気は都会の帰宅ラッシュと変わらない。私たちも扉の前に並んでいたけれど、家路を急ぐ人たちに先をこされた。クロスシートには間に合わず、ロングシートに並んで座る。しかし、もう車窓は見られないから、座れたらどこでもいいという心境である。
「暗くなっちゃいましたね」
「そうだね」
「いつか乗り直そうと思います」
「そうか」
北上駅は薄暗く、月が目立ってきた
実は、今回の旅でちょっとだけ期待したことがあった。「あけぼの」の迂回運転だ。寝台特急あけぼのは、上越線や羽越線でトラブルが起きた場合に、東北本線、北上線経由で走る場合がある。このところ天候が不安定で、もし上越線山間部で大雨通行止めになったら北上線経由になる。そうすれば早朝の明るい時間帯に北上線を通過できた。しかし、こうしたハプニングは期待したときには起こらないものだ。
列車は真っ暗な景色の中をを走っている。速度を落として、窓の外がほんのり明るくなると駅に停まる。小さな無人駅ばかりである。駅前にはたいてい軽自動車が待っていて、生徒さんを乗せていく。高校生はもう大人だと思うけど、これだけ暗いと親御さんも心配らしい。北上線の沿線がどれほど賑わっているのか、住宅街があるか、農村地帯か、さっぱりわからない。携帯端末で地図を表示させてみたいけど、なかなか電波が入らない。つまり、そのくらい人が少ない地域なのだろう。
闇の中を走って横手駅着
紙の地図を見れば、横川目駅を過ぎると和賀川を渡り谷に分け入り、トンネルが続く中でダムをチラ見するという感じだ。自然湖、ダム湖をいくつか通り過ぎて、奥羽山脈の狭隘な谷を通って横手に至る。やはりそれを見なければ「北上線に乗った」とは言えない。寝台特急で夜中に通過した路線も記録上は乗車扱いにしているから、いちおう記録はしておくけれど、やはり再訪の必要を感じる。
帰宅の高校生で賑わう秋田行きホーム
横手着19時41分。1時間16分の乗車であった。ホームに学生さんがたくさん降りてきた。秋田行きは13分後の発車だ。階段で隣のホームに行くと、こちらも学生さんが多い。学校の帰りだから解放感があるようで、誰の顔も明るかった。私たちもがっかりしている場合ではない。北上線のホームで気動車の分割作業が始まった。折り返し北上行きは1両単行になるようだ。その作業を興味深く観察した。
奥羽本線に乗り換えた。電車は701系で座席はロングシート。進行方向左側に座る。北上線と同様に真っ暗で何も見えない。しかし、大曲から秋田への道筋にはささやかな"お楽しみ"がある。秋田新幹線乗り入れ用に整備された区間だからだ。在来線列車用の狭軌と、新幹線用の標準軌が並ぶ。
秋田駅に到着した701系
たった2本の線路を二つの列車が同じ向きに走り、我が各駅停車を『こまち』が走行中に追い越していく。それは、真っ暗な車窓で起きる光のステージだ。ここでしか見られない風景を見たから、私もM氏も、なんとなく満足した。
秋田駅に展示されているD51の部品。
秋田県の工場で作られ、全国で活躍して秋田に戻ったという
次世代"こまち"車両のデザインを掲示。時代の流れを感じる
-…つづく
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