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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第472回:風の列車 - 室蘭本線 沼ノ端 - 志文 -

更新日2013/05/23


新千歳空港の地下に新千歳空港駅がある。今では当たり前の便利である。しかし、1980年に国鉄として当駅が開業した時は革命的な出来事として報じられた。短時間で高額な航空機と、低料金で長旅の国鉄列車が、まだライバル関係だったからだ。鉄道と航空の共存共栄時代が到来したといわれた。その後、福岡空港の地下に地下鉄、成田空港にJRと京成電鉄、拡張された羽田空港にはモノレールの他に京急が乗り入れた。関西空港や中部国際空港は計画時から鉄道連絡が考慮された。

国鉄がJRに分割民営化されると、北海道の鉄道は本州寄りの函館中心ダイヤから札幌中心ダイヤに変わった。そこで新千歳空港からのアクセスが生きてくる。新千歳空港は北海道の玄関であり、JR北海道の玄関ともなった。LCCの時代になって、その重要度は増している。それは新幹線が函館まで届いても変わらないだろう。


新千歳空港駅から北海道の列車旅が始まる

改札で、青春18きっぷに日付印を押してもらう。出雲市、浜田、大森、そして新千歳空港。券面に貫禄が出てきた。最後の欄は留萌になるはずだ。ホーム階に降りる。ブラックとレッドを基調としたデザインで、日本の地下駅とは趣が違う。JR北海道は1990年からデンマーク国鉄と提携しており、主に駅舎や車両のデザインでデンマークの発想を取り入れたという。なるほど、道理で特急車両の姿も本州以南とは雰囲気が違うわけだ。

エアアジア8521便が早着してくれたおかげで旅程が繰り上がった。売店で『道内時刻表』を買った。鞄の中にはJTBの小さな時刻表も入っているけれど、発売されたばかりの道内時刻表のほうが情報が新しく、薄くて取り出しやすい。かつては道内時刻表を持つ理由があった。北海道には地元の便宜を図るため、正式な駅ではない"仮乗降場"がいくつもあった。仮乗降場は全国版の時刻表には掲載されていなかった。それが道内時刻表には掲載されていた。仮乗降場はJR発足時に正式に駅となったり、廃止されたりして消えてしまった。だから今、道内時刻表を買うメリットは薄い。薄いけれども、これを買うとJR北海道で汽車旅をするという実感が湧いてくる。もしかしたら、全国版時刻表には載っていない列車や駅が、まだあるかもしれない。そんな儚い期待もある。

とにかく、事前に用意した旅程表は良い意味で無効となった。10時04分発の札幌行き快速エアポート101号に乗る予定が、09時19分発の快速エアポート93号になる。もともと余裕のない日程で、途中で特急に乗らざるを得なかった。しかし、余裕時間が増えたから、同じルートのまま、すべて各駅停車で行けるようだ。時間の余裕で特急料金の節約。時は金なりである。


苫小牧駅。ブリッジは商業ビルに続いている

札幌行きの快速に乗り、北海道の汽車旅をスタート。しかし次の南千歳駅で降りる。苫小牧へ南下し、室蘭本線で岩見沢へ向かう。未乗区間を丁寧に乗り潰そうと思っている。南千歳駅は、かつては千歳空港駅を名乗っていた。ターミナルビルまでは長大な連絡橋を歩かされた。それも今となっては懐かしい思い出となった。連絡橋のほとんどは取り壊されて、かつての景色を思い出せない。

南千歳発09時39分の苫小牧行き電車に乗る。拳骨のような顔をしている。これもデンマーク顔だろうか。苫小牧着09時57分。室蘭本線の岩見沢行きは10時28分だ。30分も待ち時間があるけれど、当初の予定は13時17分発であった。それがもう3時間近く短縮している。このあたりは列車本数が少なくて、2時間以上の待ち合わせができてしまう。それが解消された。私はまた、エアアジアの早着に感謝した。なんとなく改札を出て、駅前の商業ビル内を巡り、収穫もなく駅に戻る。

橋上駅舎からホームに降りると、札幌行きの寝台特急"北斗星"が到着し、発車していった。節約してLCCに乗らず、前日19時03分に上野を出る北斗星に乗れば、もともと効率のよい乗り継ぎができたわけだ。岩見沢行きの列車は、この北斗星からの乗り換えに配慮した列車だ。しかし、北斗星の降車客は数えるほどであった。


北斗星に遭遇。東京を昨夜19時過ぎに出発した列車だ

岩見沢行き、列車番号1469Dはキハ40形気動車の2両編成だ。ただし後の1両は回送扱いである。ワンマン運転の管理の都合だろうか。地方の電車だと、乗降は前の車両のみ、後部のドアは締め切りという事例が多い。終点まで行く場合は後部に乗れば落ち着く。気動車はそういう運用ができないのか、整備の都合だろうか。もっとも乗客が少ないので、前方1両だけでもボックスシートを占領できた。この車両は窓が開く。風を受けて列車に乗る。これも北海道らしさである。理由は簡単で、国鉄時代の車両には冷房を搭載していないからだ。

20人ほどのお客を乗せて気動車が走りだす。空港からここまでは曇天だった。しかし、沼ノ端駅で千歳線に別れを告げると青空が見え始めた。次の駅は遠浅。付近に海岸でもあるかのような名前だ。北海道の地名や駅名はアイヌ語の当て字が多いから、文字はあてにならない。次の駅は早来と書いてはやきたと読む。三角屋根の塔をふたつ載せた駅舎がある。こちら側は壁ばかりで、ドライブインの裏側のようであった。実際のところ、そのとおりなのだろう。


未乗区間に入った。かつての石炭輸送の名残か、複線区間がある

広い空、地平線まで続く農場、乾いた風。北海道らしい風景である。安平駅の周りには住宅が並ぶ。苫小牧への通勤圏だろうか。いや、このあたりの人々は職場の傍に住むだろう。次の駅は追分。広い構内である。ここは石勝線が合流し、分岐する駅だ。石勝線は札幌と道東を結ぶ幹線で、私も何度も利用した。そのたびに、乗り残した室蘭本線の沼ノ端 - 岩見沢間が気になっていた。今、ようやくその路線に乗っている。満足である。

室蘭本線は函館本線の長万部を起点とし、室蘭付近を経由して岩見沢を結ぶ路線である。室蘭付近、と書いた理由は、室蘭駅が本線上にはなく、支線の終点にあるからだ。函館本線は函館と札幌を結び旭川に至る一方で、室蘭本線は札幌を通らずに岩見沢に向かう。今となっては北海道の幹線を二重化する計画かと思ってしまうし、それにしては札幌を通らないから不自然だと思うだろう。実は、室蘭本線は人の輸送のためではなく、北海道中央地域から産出される石炭を室蘭港へ運ぶための線路だった。私達の記憶から、すっかり石炭が消えつつある。


石勝線と接続する追分駅。停車中に特急が通った

室蘭本線の前身は北海道炭礦鉄道である。1892(明治25)年に岩見沢と室蘭を結ぶ線路が開業した。日本海側の小樽港から積み出すルートの他に、太平洋側の室蘭から積み出すルートを作るためだった。地図を見れば、岩見沢に集められた石炭は、石狩川の水運で海へ運び出すルートが良さそうだ。しかし石狩湾が遠浅で、大型輸送船の港を作れなかった。そこで早期から鉄道による運び出しが計画されたという。小樽より室蘭のほうが遠いけれど、東京へ石炭を送る海上ルートを考えると、室蘭のほうが便利だったようだ。北海道炭礦鉄道は他にも、砂川線や夕張線など、石炭輸送路線を次々と建設していく。

北海道炭礦鉄道が国有化されたのち、政府は長万部側から室蘭方面へ路線を建設した。この路線は長万部と室蘭付近の輪西を結ぶ路線として、長輪線と呼ばれた。1928(昭和3)年に輪西に到達して室蘭本線と接続。その3年後に統合されて室蘭本線となる。つまり、室蘭本線は室蘭を境に東西で異なる出自である。ただし、現在の運用の境界は苫小牧になっている。千歳線を経由した札幌方面の列車が主になっているからだ。


石勝線が分かれていく。釧路へ続く線路だ

千歳線は1926(大正15)年に北海道鉄道が苫小牧と札幌を結ぶために建設され、後に国有化された。函館本線は勾配が多く、室蘭経由は少し遠回りであっても高速運転や重量貨物運転に適していた。だから札幌と函館を結ぶ特急列車は室蘭本線経由になった。こうして千歳線が重要なルートになる一方で、石炭輸送が衰退した苫小牧と岩見沢間は取り残された。苫小牧、正確には沼ノ端から西は特急銀座。一方、沼ノ端から岩見沢間は時刻表でも別掲とされ、1日10往復に満たないローカル線になっている。

閑散としたローカル線ではあるけれど、由仁駅で10人以上が降りた。ここは由仁町の中心である。夕張川に近い農業の町だ。札幌から列車でもクルマでも1時間ほどの距離で、札幌と夕張を結ぶバスがこの町を経由する。この町にとって、札幌からの横軸が重要で、室蘭本線の縦軸の役割は小さい。しかし、一定の利用者数はあるようだ。


栗山駅。停車時間が長ければ、栗菓子を探しに行きたかった

次の栗山駅は洒落たデザインの建物である。円柱型の塔屋と直線的な跨線橋を備えている。栗山町の中心で、石炭の時代は夕張鉄道と接続する駅であった。駅舎は栗山町の文化会館を兼ねているという。栗山も夕張川に近く、農地として開拓団が入った。その後、炭鉱に近い街として栄え、今はまた穏やかな農業の町となっている。コメの生育と水が良いのだろうか。北海道のコメで清酒を造る小林酒造の工場と本社がある。札幌での創業は1878年。その3年後に栗山に移転。まだ鉄道は通っていなかった。夕張川の水運が魅力だったか、あるいは炭鉱夫たちが地元で飲み尽くしたか。

栗山を出るとトンネルを通った。この路線で初めてのトンネルではないか。そして列車は栗丘駅、栗沢駅に停まる。栗ばかりである。これはアイヌ語の当て字ではなく、本当に栗の多い土地だったという。アイヌ語の地名はヤムニ・ウシ。栗の多いところという意味で、珍しく意訳された地名である。アイヌ民族も多くは住まず、あそこは栗が多いところだな、という程度の場所だったかもしれない。車窓からはこんもりとした森が見えている。栗林かもしれないが、栗の木の形や葉を知らない。青いイガでも落ちていれば……いや、小さすぎて見えないか。


どれが栗の木だろう?

11時54分。志文駅。次が岩見沢である。このまま列車に乗り続けるけれど、ここで私の室蘭本線未乗区間は終わる。志文と岩見沢の間は1983年に乗った。もう29年も前、ここから万字線というローカル線が出ていた。万字炭鉱からの積み出し路線で、国鉄の赤字ローカル線整理の時に廃止になっている。広い構内はその当時の面影。当時はもっとましな駅舎があったような気がする。万字線は横向川にそって東に延びていた。地図で追っていくと、横向ダムの手前に"万字線鉄道資料館"という建物があるらしい。もっと志文駅に近ければ見てみたかった。しかしもとより廃線跡への関心は薄い。

室蘭本線の全区間を踏破した。今の私は、北海道で列車に乗っている。動く列車に乗るだけで満足だ。窓を開け、強い日差しを浴びている。気温が上がり、風も冷たすぎず、心地よく吹いている。北海道の各駅停車は風の列車である。温泉に浸かっている時のように、この幸せな時間がずっと続いてほしい。


志文駅に到着。駅前に電気工事作業車が集まる。付近の店で作業員が昼食中かも?

…つづく

 

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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