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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第381回:里山の風景 - 妙見ケーブル -

更新日2011/07/07


妙見口駅と妙見ケーブル乗り場は少し離れている。たしかバスがあったはずだ。電車の窓からバス停留所のような広場を見た。駅前広場を出て右へ折れて、細い道の先へ行くと小さな転回所があった。1台のバスが停まっていた。しかし、これは近隣を巡回する路線である。時刻表を見ると、ケーブル乗り場行のバスは土休日のみ運行とあった。今日は火曜日である。平日の旅は空いているけれど、休日だけのサービスは受けられない。世の観光施設は土日で遊ぶ人のために作られるらしい。


里山道を歩く

駅前広場はすっかり静まっていた。私は立て看板の観光地図を見て歩き出した。途中で国道と合流するまでは1本道だ。なだらかな坂道を行くと、左手の頭上からお年寄りの声が聞こえる。見上げれば、先程の団体である。あっちの道がハイキングコースらしい。携帯端末で地図を見ると、北西の山へ消えて行く道がいくつかあって、八幡神社もある。

私が進む道は民家と水田に挟まれている。傾斜地だから田んぼひとつひとつに段差がある。棚田と呼ぶには広い。道の脇の細い水路は清らかな水らしく、水田ごとに水を引き込む仕掛けがあった。顔を上げれば新緑の山並みである。子供の頃に憧れた田舎の風景はこうだったかな。私は両親ともに東京育ちで、田舎に遊んだ経験がなかった。それが心の空白であり、その欠片を探しに旅をしていると、ときどき思う。


溜め池と天然の藤の花

初夏の日差しは強く、風が止んだ。私は少し汗をかいている。国道に突き当たり、そこで先を歩く老夫婦に追いついた。この人たちはハイキング団体ではないらしい。歩道を塞ぐように並んで歩いていたけれど、道を譲ってくれた。しかし、追い越した私もときどき立ち止まり、常夜燈と書かれた石灯籠の写真を撮ったり、道路脇の溜め池や藤の花を撮ったりしている。そして追いつかれて道を譲り、また譲られを繰り返す。私たちは仲良しグループのように微笑みを交わしながら歩いた。


ケーブル黒川駅の周囲は静かだ

ケーブルカーの駅は、国道から右へ曲がったところにあった。数軒の住宅が並んだ突き当たり。お土産屋も食堂もなく、観光地にあるはずの華やかさがない。駅も工事現場の詰め所のようだ。妙見山へお参りに行く人の交通手段であって、遊びにくるところではない。そんな生真面目な雰囲気である。ハレの気分にはならないけれど、いかにも金儲けという業者がいないから、これはこれで居心地がいい。

ところで、私は改札口の張り紙を見て呆然とした。「シグナス森林鉄道は運休」とある。「えっ、今日は森林鉄道は休みですか」と思わず声を出してしまう。「土日たけなんですよ」と係員氏が言った。シグナス森林鉄道は、妙見ケーブル山上駅付近にある遊覧鉄道だ。遊園地の豆汽車のような位置づけであるけれど、ナローゲージの本格的な仕様で、妙見ケーブルに乗りに行くときは合わせて乗ろうと思っていた。まさか土日しか運転しないとは思わなかった。これは下調べをしなかった私が悪い。しかし、平日は全面的に運休するという観光施設も珍しい。


1960年製の車両

肩を落としつつ、係員に促されてケーブルカーに乗車する。少し気持ちが上向いた。なにしろこちらは正規の営業路線であって、私の目的の本筋である。車両は『ときめき号』と名付けられていた。先頭の席に座れば、目前には壁のような斜面にレールが貼りついている。ケーブルカーに乗るたびに同じ感想を持つけれど、よくもこんなところに線路を敷いたものである。

係員のおじさんが現れて、一番前の席に座る。この人は車掌さんである。運転士さんは上部の駅にいて、巻き上げ機を操作する。ケーブルカーは自走しないので車両側に運転士は不要。ただし、万が一の場合に非常ブレーキを操作するため車掌さんが乗る。もっとも、非常ブレーキを使う機会はめったにないから、事実上の案内放送担当である。


急勾配へ挑む

運転所に発車の指示を出すと、車掌さんは朗々と案内文を読み上げる。このあたりは昔ながらの里山の風景を残し、古くから炭焼きの盛んな地域だった。それも今では一軒しかないという。下の黒川駅の標高は261メートル。山上駅の標高は490メートル。ケーブルカーの高低差は229メートル。最急勾配は23度。日本のケーブルカーとしては目立った数値ではないから、淡々と説明するのみであった。線路の脇の勾配標識は363パーミルを示していた。ここはまだ緩やかなほうで、その先は天を目指すようにそそりたつ。

線路は一直線で見通しがいい。ただし、上に行くほど木が茂っており、黒川駅から山上駅は見えなかった。中間のすれ違い地点に到達すると、ようやく暗がりにぽっかりと口を開けた駅が見えた。トンネルもカーブもないシンブルな線形であった。風景は主に左手に広がり、右手は斜面で樹木が茂っている。乗車時間は約5分。まあこんなモノだろう。


相棒は「ほほえみ号」

相方の車両は『ほほえみ』号だった。ケーブルカーは、なんとなく2台の車両に関連する名前をつける習慣があると思う。それは語感だったり、語呂だったり、花の名前だったりする。ここは『ときめき』『ほほえみ』ときたか。春は桜、秋は紅葉が見事というから、『さくら』『もみじ』でもよさそうだ。もっとも、このケーブルカーは戦時中は運休させられ、資材は軍に供出した。戦後5年経って再開を決定し、10年かけて運行を開始した。車両の名前には平和への願いがあったかもしれない。


眺望は里山の風景

山上駅からはさらにリフトが通じている。山上駅からリフト乗り場までは急な坂道であった。転べば振り出しに戻りそうだ。どうしてもっと先まで線路を敷かなかったのだろうと恨めしく思う。それでも、せっかくここまで来たからには妙見山の寺まで行きたい。よじ登るような心境で歩く。幸いにも日陰であった。道端に記念植樹であった。孫の誕生記念だとか、金婚式だとか、幸せを喜ぶ内容に元気をもらった。


山上駅からリフトへ向かう坂道から

リフト乗り場の手前にシグナス森林鉄道の乗り場があった。車両にはブルーシートが掛けられていた。細い幅の線路をしばらく眺める。短い区間ながらラックレールもある。やっぱり乗りたい。いつか再訪しようと思う。鉄道に乗りに行くというと誘いにくいけれど、観光地ならば付き合ってくれる人もいるだろう。


運休中のシグナス森林鉄道

リフト乗り場に行ってみると動いていなかった。さてはここも平日運休かと思ったら、小屋から黄色い服を着たおばちゃんが出てきて、私が最初の客だと言う。起動したばかりのリフトに乗れば、反対側は空席ばかり。まるで貸し切りであった。なるほど。この程度のお客さんなら、バスもシグナス森林鉄道の平日運休も仕方ないと納得した。


たったひとりでリフトに揺られる

-…つづく

第381回の行程地図
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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。

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