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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第478回:『すずらん』の駅 - 留萠本線 恵比島駅 -

更新日2013/07/18


07時21分。恵比島駅で降りた。北海道の片田舎の小さな駅。大正から昭和にかけて、ここも炭鉱で賑わった駅である。炭鉱からの軽便鉄道が敷かれ、その役目が終わった後には留萌鉄道が分岐していたという。しかし、今は線路1本、ホーム1本の無人駅。それにしては立派な駅舎がある。かつての栄華……ではなく、これはセットである。1999年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『すずらん』、その舞台となった明日萌駅がこの恵比島駅に作られた。


恵比島駅は明日萌駅

『すずらん』は大正から現代までの女性の生涯を描いた。主人公は明日萌駅に捨てられていた。駅長に引き取られ萌と名付けられる。鉄道員一家で育ち、やがて激動の時代となり、萌は女としての喜び、悲しみを経験し、力強く生き抜く。その萌の最期の地もまた、この明日萌駅であった。萌役は幼年期を柊瑠美さんが好演し、話題になった。少女時代以降は遠野凪子さん、老年期は倍賞千恵子さんが演じた。


こちらは観光施設の明日萌駅舎

1999年は私がフリーライターとなって3年目。時間に縛られず、連続ドラマを毎日見られた。つまり仕事はそれほど多くはなかった。私がこのドラマを見始めた理由は、鉄道が舞台であり駅長役の橋爪功さんのファンだからでもある。橋爪功さんはフジテレビのドラマ『影の軍団IV』で忍者役を演じ、最終階で壮絶な最期を演じた。

私の期待通り、ドラマには蒸気機関車など鉄道風景が何度も出てきた。駅長も凛々しい。主人公が成長すると舞台は東京に移ってしまったけれど、物語に引きこまれた。遠野凪子さんの容姿や演技も私の好みに近く、きれいで、ひたむきな女性だった。役者が倍賞千恵子となり、死期を悟って明日萌駅に帰った時は朝から泣いて、その孫として遠野凪子さんが再演した時に救われた思いがした。


表から見たところ

ドラマは恵比島駅にオープンセットを作って撮影された。蒸気機関車は真岡鐵道で保存されたC12を借りた。この撮影が話題となり、JR北海道は公園で保存されていたC11を復活させ、『SLすずらん号』として運行した。これがJR北海道の観光SL列車の始祖となった。私も、いつか明日萌駅に行ってみたいと思った。しかし、ドラマが最終回を迎える頃、皮肉にも私は仕事に恵まれて、身動きが取りづらくなっていた。


駅長さんが執務中。橋爪功さんに似てる?

それから10年以上も経ってしまった。明日萌駅の観光ブームは去った。『SLすずらん号』も走っていない。オープンセットの一部は残され、駅舎は沼田町が観光施設としてあらためてドラマの設定通りに建設された。ドラマの記憶は薄れている。しかし明日萌駅舎は残っている。今は建物自体が、昭和の雰囲気を残す風景として名物になっているようだ。


出札口

今はひっそりとして、人の気配のない無人駅だ。駅舎は日中は開放され見学できるらしい。この時間は鍵がかかっているけれど、私はその姿を見ただけで満足である。焦げ茶色の建物、明日萌駅の駅名標、木製の柱と改札口。ゆっくりと建物の周りを歩く。煤けた窓ガラスから覗いてみる。駅長の机、出札窓口。眺めるだけでも私は納得した。


待合室に萌ちゃんがいる

駅舎の隣にも小さな建物があった。実はこれが本来の恵比島駅舎だ。無人駅用の、車掌車を改造した待合室。それを明日萌駅と調和するように焦げ茶色の板で覆っている。まさしくここは戦前の昭和の夏。表の構えも立派だ。しかし現役の駅である。通学の学生が停めたのだろう。建物のそばに、ぽつんと自転車があった。これだけは現代のデザインで、その対比が面白い。


こちらはドラマで登場した『中村旅館』

「所便」と書いた看板があるけれど、そこにはトイレはない。これは撮影用で、実際に使える便所の場所は、待合室に地図で示されている。駅前広場から道路を挟んだ反対側、ドラマで外装を駅前旅館に仕立てた建物にあった。ここは開放されており、とりあえず記念に用を足した。トイレから出て、旅館から駅前広場の全体を眺める。駅長の社宅、馬具置き場など、ドラマの舞台が整えられている。ひとつを眺めて歩く。社宅はセットのままだろうか。日中も立ち入りはできないらしい。


駅前広場全景

ひと通り眺めて満足。次の深川行きは08時45分である。まだ40分以上もあった。どうしたものかと辺りを見渡すと、少し離れた山裾に鳥居が見えた。高いところに神社がある。そこから駅を眺めてみようか。小さな橋を渡り、細い階段を上る。「すずらんロケ地観光記念」「萌の丘」と書いた看板があった。少女時代の萌がここに佇むシーンがあったかもしれない。そしてこの看板こそ、観光ブームがあった証でもある。


駅長さんの家

社には「恵比寿神社」とある。開拓時代に守護神として祀り、留萌線建設のトンネル工事に使う煉瓦工場に社殿を建立。その後市街に移され、人口増加で再度この地に移された。社殿から駅を振り返るも木々に隠されていた。帰り道、少し降りると駅を見渡せる。ただし、その手前の民家も視界に入る。期待したほどの風景ではなかった。


鳥居の向こうの階段を上ると恵比寿神社がある

明日萌駅に戻り、ホーム側のベンチに座る。そこで気づいた。室内にマネキンがあり、こちら、つまり窓の外を見ている。萌ちゃんであった。これは記念写真を撮りたい。手首を返しつつ、カメラのレンズを自分に向けて、何枚か撮った。そして朝飯。昨夜、留萌のスーパーで買ったお新香巻とザンギだ。お新香巻の中身はキュウリの奈良漬け。ほどよい塩加減だった。

食後の腹ごなしに歩いてひとまわり。バス停の看板を見つけた。町営バスで、沼田行きが1日4便。幌新温泉行きが1日5便。駅舎に戻ると、さっき私が座っていた場所にお婆さんがいた。恵比島駅のお客さんであった。挨拶をする。沼田へ買い物だという。

「バスもあるけど、朝が早くて。乗って行っても店が開いとらん」

列車が来るまで、話し相手になってもらった。でも、お新香巻きの話はしなかった。もう食べてしまったから…。

…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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杉山 淳一著(株式会社エンターブレイン)





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