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第489回:黒部の"黄葉" - 黒部ダム -

更新日2013/10/24


季節が逆戻り。立山の真っ白な雪景色から一変して、黒部湖は黄葉の世界である。赤色は少なく、"紅葉"と同じ読みの"黄葉"の方だ。黒部湖周辺には赤く染まるカエデは少ないからだという。僅かに点在する小さな赤みはナナカマドやクロマメノキ。黄色はブナやダケカンバらしい。日光が当たれば黄金色に輝くだろうと思うけれど、曇り空のせいか冴えない眺めだ。湖面もくすんだ緑色である。シーズンを過ぎた割引料金だから、景色も割り引かれてしまったようである。黒部ダムといえば観光放水が人気だ。しかし10月中旬で終了している。


水位が低すぎて観光船ガルベは運休

ダムの堤防をのんびり歩いて展望施設に向かった。風が心地よく、ケーブルカーの車内にこもった熱を取り去ってくれた。立ち止まって湖を見渡すと、やはり水位が低く土色の岸が露出している。運休中の観光船ガルベが停泊しており、コンクリートの階段に接岸して係員が作業している。水位が高ければ桟橋が機能するのだろうか。


日本一の高さを誇る黒部ダム堤

黒部ダムの堤防の高さは186メートルで、これは日本一の高さである。黒部湖に貯まる2億トンの水を、この堤防で支えている。黒部ダムと黒部第4発電所の建設は、関西電力のみならず日本国家としても類を見ない大規模なプロジェクトであった。しかし、堤防からはその様子や歴史を伝えるものは見えない。湖面は静かに水をたたえ、立山連峰が穏やかに見下ろしている。

当初の予定ではここに14時ごろ到着し、1時間半の滞在予定であった。観光船に乗り、レストランで遅めの昼食。ちょっと慌ただしい気がしていた。しかし予定が繰り上がって30分も早く着いた。観光船が動かないから、時間も余る。堤防から両側の景色を眺めて、さてどうするか。そのまま歩いていくとレストハウスがある。


高いところに展望台がある

その手前で左に向かえば、崖にそって登っていく長い階段があり、展望台に通じている。かなり高い位置で、ひどく疲れそうだ。しかし、観光船が動かない以上、身体を使って高いところに上らないと達成感を得られない気がする。階段にたどり着くと、途中で上る階段と降りる階段に別れる。上るほうは展望台まで280段と書いてあった。1段あたり20センチメートルとしても56メートルである。私が住むマンションの20階が地上から約60メートルくらいだ。その非常階段を上る気分でもある。


黄葉を見ながらゆっくり登ろう

片掛けしていたデイパックに両腕を通し、黙々と上った。すぐに息が上がる。汗が吹き出す。こんな階段程度でと思う。登山を楽しむ人はなんと強靭か。弥陀ヶ原と同じ感想が繰り返される。上ったところで景色が良いかというと、「まあこんなものだろう」という程度であった。ただ、上り切ったという満足感はある。展望台の施設で湧き水を触り、ペットボトルのお茶を飲み干して、湧き水を入れた。

施設の中にも階段があって、下まで通じているようだ。しかし、景色がない階段はつまらない。また同じ外階段を降り、今度は分かれ道でさらに降りて、新展望広場に寄ってみた。ここは展望を楽しむというより、観光放水を間近に見物する場所のようだ。ここでしばらく佇み、階段の上下で突っ張った足を休め、身体の奥から燃え上がる熱を冷ます。かなりカロリーを消費しているはずだ。

適度な運動のおかげで腹が減った。レストハウスで"ダムカレー"を注文する。ご飯を堤防の形に盛りつけ、カレールーをせき止めている。私が頼んだカツカレーは、ご飯の堤防にカツが貼り付いている。ダムカレーは2007年頃に東京・本所で飲食店を経営するダムファンが考案し、様々なダムの堤防を再現して話題になった。一方、黒部のダムカレーは黒部、扇沢あたりのレストランが新名物として売り出している。私は本所の店にも行ったけれど、ダムカレーではなく、その日に半額セールだったステーキセットを食べてしまった。だから今日が念願のダムカレーである。


これが黒部のダムカレー

黒部のダムカレーは、グリーンカレーと普通のカレーの2種類がある。黒部湖としてはグリーンカレーを推しているようだ。ほうれん草のペーストを加えて、黒部湖の緑の湖面を再現しているからだという。空腹のため、うっかりボリュームのありそうなカツカレーを食べてしまった。こちらは普通のカレールーであった。後悔しそうになったけれど、土産物屋でレトルトの"黒部ダムカレー"を見つけた。まさしくグリーンカレー版であった。家で再現してみたい。

レストハウスの3階に黒部ダムの資料室がある。模型などの資料が展示されており、奥で記録映画を上映している。幸いにも時間はたっぷりあるから、ここで足を休めつつ映像を鑑賞した。谷と呼ぶにはあまりにも広大な地域を水没させ、自然を破壊し、自然と共生する人々を退去させた。ダム建設ルートとなる関電トンネルは、何度も破砕帯に遭遇し、難工事の上に多くの犠牲者を出した。


晴天の黒部湖

この巨大なダム湖は、膨大な電力を生み出し、日本の近代化に貢献した。その一方で、多くの犠牲があった。その尽力を忘れないで欲しい。願わくは、もう同じ物は作りたくない。映像にはそんなメッセージが含まれているようだ。しかしどうだろう。水力、火力、原子力と発電の形態が変わる中で、原子力発電所事故の失敗は取り返しがつかない状況であり、火力にばかり頼ってもいられない。

黒部と、福島を比べると、黒部の電力はとても清潔に感じる。黒部には美しい湖と景色が残った。福島はどうか。水の豊かな日本では、原子力に頼るよりも、水力発電を進めるべきではないかと思う。コストが掛かり、工期がかさみ、また谷を潰すか、それとも原子力を再開するか。


堤の反対側の景色

土産物屋を物色していると、外が少し明るくなってきた。晴れたようだ。外に出ると青空が見えている。山肌の黄葉も明るくなってきた。これは幸運だ。私はまた堤防を往復し、明るくなった黒部の風景を眺めた。よし。今日はこれで思い残すことはない。観光船ガルベは船である。私の旅の目的ではなかった。後ろ髪を引かれようにも私は丸刈りだ。

レストハウスに戻り、トンネルを歩いてトロリーバスの駅へ向かう。遠回りしたけれど、今回の旅の第一目的は関電トロリーバスであった。立山黒部アルペンルート、富山側から辿った最後の乗り物である。はたして今年限りでトロリーバスが終わってしまうか、確かめなくてはいけない。さっきまでの水力と原子力の悩みはすっかり消えて、私は歩みを早めた。


関電トロリーバスへ向かう

…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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