第490回:トロリーバスの真相 - 立山黒部アルペンルート5 -
正義の味方の基地は、たいてい山奥にある。誰も知らない場所に巨大な秘密兵器を隠さなくてはいけないからである。基地は地下深くにあって、秘密の入り口から長いトンネルが通じている。そんなに都会から離れたら、緊急事態に間に合わないと思う。けれど、主人公は使命感を持ってトンネルを突き進む。勇気を駆り立てるBGMが流れる。
思い返せば、立山黒部アルペンルートの乗り物たちはどれも秘密基地にありそうな施設だ。トロリーバスやケーブルカーは地下に隠され、空中のロープウェーだって人目につかない。人工衛星を使ってやっと発見できる場所である。こんなゲームはどうだろう。黒部ダムの湖底に眠る最終兵器、その起動スイッチはアルペンルート各所にあり、立山サイドと扇沢サイドから二つの勢力が覇権を争う……。プレイヤーはどちらかの勢力の特殊部隊に参加し、各所の乗り物を使いこなして進んでいく……。
秘密基地のロビー? 関電トロリーバスの黒部ダム駅
黒部ダムから関電トロリーバスの駅へ向かうトンネルを歩きつつ、私の気分は正義の主人公である。自分が世界の主人公で特殊な存在と思い込む。ネットスラングでいう中二病である。しかし、実際に私には使命がある。関電トロリーバスは本当に今年で終わるか。来年はバッテリーバスになるか、その噂を突き止めなくてはいけない。
振り返れば、東京から夜行バスに乗り、400km以上の道のりで起点の富山にたどり着き、そこから立山、美女平、弥陀ヶ原、室堂、大観峰、黒部平、黒部湖と、64kmの道のりを約7時間かけで辿ってきた。乗り物を楽しみ、見事な眺めに感嘆して、すっかり忘れかけていたけれど、今回の旅の目的はこれから乗る関電トロリーバスであった。
真っ白な蛍光灯で照らされた灰色のコンクリートの壁。そんなトンネルを進んでいくと、ひときわ明るい、温かみのある空間に着いた。ここが関電トロリーバスの黒部ダム駅である。天井に白いタイル、床は肌色のタイル、壁は木材が使われ、ベンチも木製で温かみを感じる。トンネル歩道は寂しかったけれど、この駅前トンネルは人が多く、みな表情が明るい。世界が終わっても、人類は地下でたくましく生きていけそうである。
トロリーバス。鉄道風にいうと無軌条電車
改札口は閉じていた。案内の係員が立っている。私はさっそく問いかけた。
「関電トロリーバスが今年で終わるって本当ですか?」
直球である。噂を確かめようとしたら遠回しに聞いたって通じない。
「えっ、ちょっと待ってね」
定年間際のような年齢の係員氏は事務室に向かった。私も後を追う。私は事務室には入れないけれど、きっぷ売り場の窓口から様子をうかがう。幸い、きっぷを買う列はなかった。殆どの人は通しのきっぷを持っているのだろう。
奥から若い職員がやってきて、窓口越しの会話となった。私はもう一度尋ねた。
「関電トロリーバスがトロリーバスじゃなくなって、バッテリーバスになると聞いたんですけど…」
職員は質問の意図を心得ているようで、平然と応対した。
「可能性のひとつとして検討しているみたいですけど、今年や来年という話ではないんですよ。まあ、いずれは老朽化して再整備すると思いますが、その時の話だと思います」
なんと、噂はきっぱりと否定された。
「ああ、それは良かったです。トロリーバスは面白いですもんね」
私も平然と言葉を返したけれど、心中は穏やかではない。トロリーバス存続は楽しいし、今年で廃止の噂も嘘だと判明した。しかし、私は多忙の中、なんとか日程をやりくりをしてここまで来た。何をやっているんだと思う。まるで噂に踊らされたピエロである。
中間地点ですれ違い。向こうは長編成
がっかりしつつ、でも、この旅は悪くなかった。いつ行こうとタイミングをはかりかねていた立山黒部アルペンルートであるし、きっぷは2割引きだったし、紅葉、雪景色、黄葉という景色の変化も見事であった。その締めくくりとして、当分はこのままというトロリーバスに乗ろう。私は14時45分発の改札口に並んだ。
関電トロリーバスは灰色の車体で無骨な印象だ。立山黒部貫光のトロリーバスは明るいクリーム色だった。車両の形は似ていて、どちらも実用本位の四角い姿である。現在、日本で営業中のトロリーバスは2路線あって、どちらも立山黒部アルペンルートにある。車両の製造会社も仕様も共通だ。関電トロリーバスは三代目で、この車体をベースに立山黒部貫光のトロリーバスが作られた。
関電の車両は300形といって、1993年から1996にかけて3台ずつ増備されたという。立山黒部貫光の8000形は1996年製造だ。トロリーバスは無軌条電車、つまり鉄道車両の扱いとすれば、電車の減価償却期間は13年。関電トロリーバスはほぼ20年で新車に置き換えているという。だとすれば、たしかに来年で初代車両が20年を迎える。それが置き換え=バッテリーバス化の根拠かもしれない。一斉にバッテリーバスに交換しなくても、3台ずつバッテリーバスに置き換えていくという方法もある。
トンネル工事最大の難所「破砕帯」を通過
お客さんが多かったけれど、早めに並んだおかげで1台目の前のほうの席に座れた。通路側だが立ち客がいないので、前方を展望できる。トンネルの中だから窓際に座っても景色はない。通路側のほうが楽しい電車というのも珍しい。バスだから、地下鉄電車のように暗幕で遮られたりもしない。
前方展望の手前、運転席の背後に衝立がある。路線バスと同様だ。その衝立に「鉄道友の会・グローリア賞」というプレートがある。耳慣れない賞の名前だ。「鉄道事業の運営や業績に貢献した施策・技術」に対する賞だという。1984年に制定され、2002年が最後となった。私が鉄道趣味から距離をおいた時期とほぼ一致する。
トロリーバスは定刻に発車。時間厳守だ。きっと途中ですれ違う場所があるのだろう。もたもたするお客さんを促す放送が聞こえた。ホームを離れるとバスは右旋回。ビルの地下駐車場を脱する時のように急カーブを走り、真っ直ぐなトンネルを行く。8分後、トンネルが膨らんだところに反対向きのトロリーバスが待っていた。5台も続いている。長編成である。こちらは3台だ。需要に合わせてあちらが多いのか、あるいはこちらの次の便の客が多くて回送車が続いているのか。
信号機があり、バスがすれ違うところが中間地点。トロリーバスの所要時間は16分と案内されているから、ピッタリ8分ですれ違い場所を通過している。さらにトンネルは続く。そして、トンネルの壁が青く照らされた部分がある。ここが破砕帯のあったところ。トンネル工事の最大の難所だったという。トロリーバスは平然と通過するけれど、多くの犠牲があり、工法に議論が重ねられたところであった。一瞬だが厳粛な気持ちになる。
終点はトンネルの外だった
全区間がトンネルかと思ったら、下り勾配の最後にトンネルを出た。左へカーブする坂道の内側に工場のような大きな建物がある。側扉が開いており、奥にトロリーバスが見える。ここはトロリーバスの車両基地で、つまり終点の扇沢駅であった。トンネルの外、明るい開けた場所で、空を見上げれば架線が張り巡らされている。ここならトロリーバスの車体や集電の仕組みがよくわかる。
扇沢駅
曇り空で周囲の山の色づきはくすんで見えた。しかし緑、黄色、赤と色彩は多い。晴れていれば美しく照り返されるだろう。遠くに見える青空が、ここから普通のバスで向かう信濃大町駅の辺りだろうか。
結局、日程は1時間ほど繰り上がったままだ。でもそのおかげで明るいうちにここまで来た。篠ノ井線の車窓も楽しめそうである。さらばトンネル。さらば曇り空。さらば立山黒部アルペンルート。ふだんの鉄道の旅とは違う景色や乗り物があり、楽しい行路であった。
扇沢駅舎周辺は五色に染まった
-…つづく
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