第702回:クモハ123形の旅 - 小野田線 居能~長門本山 -
長門本山行きの電車は1両。車体の両側に運転室がある。そんな電車がまだ残っていたなんて。近づいて見れば、さっきすれ違った、古めかしい車両と同型だ。形式番号を見ると“クモハ123”だった。ああ、君か! と、まるで旧友に出会ったような、いや、噂の人物に意外なところで出くわしたような気がした。

希少車種、クモハ123形
クモハ123形は国鉄時代に“クモニ”または“クモユニ”と呼ばれた電車を改造して作られた。初歩知識だけど、クは運転台付き、モはモーター付き、ハはイロハのハで3等車、今は普通車と呼ぶ。ニは荷物車、ユは郵便車だ。クモニは荷物を運ぶ電車で、クモユニは郵便と荷物を運ぶ電車だ。国鉄時代はチッキ便という小荷物輸送や郵便輸送を行っており、専用の電車が作られた。座席がなく、荷棚や郵便仕分け棚をしつらえた電車だ。

JR東日本版にはなかった貫通扉がある。連結して走ることもあるらしい
荷物電車や郵便電車は、単体で走ったり、定期運行する普通電車に連結されて走ったりした。東海道本線の近郊型普通列車の先頭に、山手線のような貫通扉のない顔をした電車が繋がっていた。子どもの頃、湘南電車を眺めて、この電車が連結された姿に違和感を覚えた。

ワンマン運転で手動ドア。重い扉をこじ開ける
のちにチッキ便や郵便輸送が終了すると、荷物電車や郵便電車は任を解かれ旅客用電車に改造された。それがクモハ123形だ。国鉄分割民営化後は、JR東日本に1両、JR東海に5両、JR西日本に5両が引き継がれた。後にJR東海が2両を追加した。改造総数はわずか13両。趣味的に希少価値が高い電車たちだ。同じ形式でも、改造の元になる車両が違うから、すべて同じでもない。

パケット風に区分けされたロングシート
私が長野県松本市で大学生活を過ごしていた頃、JR東日本所属の123形は中央本線の塩尻と辰野の間を往復していた。東京へ帰省する際、塩尻駅で見かけた。気の利いた鉄道員がいたようで、“ミニエコー”という愛称とヘッドマークが与えられていた。しかし、乗る機会もないまま2013年に廃車されてしまう。だから123形に懐かしさを感じる。そうか、中央本線からは姿を消したけれど、君はまだ残っていたか。こんなところで乗れるとは思わなかった。

厚東川を渡る
乗降扉は運転室のそばにあって、車内には長いロングシートがある。ただしベッドのような平たいタイプではなく、一人ひとりの幅で窪みを作られている。クルマで言うバケットシート風だ。ここだけは最新の電車のようで、きっと何度か更新されたのだろう。JR西日本は財政事情か新車購入は控えめだ。しかし古い車両をそのままにせず、改良を続けて大切に使う。ふだん使いの人々は新車が良いだろうけれど、趣味的には好ましい。

青田の向こうに工場群
しんみりと車内を見渡していると扉が閉まり、06時40分に定刻で発車した。いまきた道を逆戻り。次の居能駅から左へ分かれて小野田線だ。工場街を通り抜けて河口を渡る。厚東川と書いて“ことうがわ”と読む。さざ波が立っているけれども穏やかだ。橋を渡ると水田が広がり、住宅の隙間から工場が見える。なんとなく鶴見線を思い出す。

三角プラットホームの雀田駅
雀田駅は小野田線の本線と長門本山行きの支線が分岐する。分かれた線路に挟まれる形で三角のプラットホームがあり、また鶴見線の浅野駅を思い出した。海沿いの工場街に線路を引くと、似たような線路と景色になるようだ。私が乗った電車は支線の長門本山行き。私を含めて3人いた乗客のうち1人が降りた。運行本数が少ないローカル線だから、乗客が見込める時間帯を狙って運行しているはずだけど乗客が少ない。

工場街の反対側の車窓は緑が多い
しばらく停車していると本線に反対方向の宇部新川行きがやってきた。なるほど、うまく接続させているんだな。乗り換えはいるかなと思ったら、若い女性がひとり。彼女は次の浜河内駅で降りた。器用に乗りこなしている。小野田線の乗り換え達人だ。

浜河内駅
車窓からときどきオイルタンクが見えていたけれども、このあたりは林に遮られている。防風林か景観の配慮か。朝日の陰で緑色が濃い。その上に青みを増やした夏の空。雲はなく快晴である。電車を降りたら暑いだろうと覚悟する。07時04分、長門本山駅到着。終点だ。私のほかに男性ひとりしか乗ってこなかったけれど、彼はそのまま折り返すようだ。私は次の電車に乗る。せっかく訪れた行き止まりの終着駅。すこし散歩してみたい。

長門本山駅に着いた。暑い
-…つづく
|