第49回:あるヨットデザイナー
更新日2002/07/11
ビルディングに建築家がいるようにヨットを設計する人がいる。とりわけレース艇は先端技術を駆使し1秒でも速いヨットをと凌ぎを削って設計、建造している。全般にレース艇の設計者=デザイナーは自身が優れたヨット乗りであることが多い。
今をトキメク、トップデザイナーでもヨット乗りとして接すると、存外気楽なヨッティー仲間として扱ってくれるものだ。そしてヨットデザイナーには、天才も多いが一癖二癖もある変人も多い。
戦後ヨットデザインの最大のヒット、Jボートのデザイナー、ロドニィ・ジョンソンは自分の家のガレージで、自分のために速くて乗りやすい船をモットーにJ-24を設計、そして自作したのが始まりで、いまだに朴訥とした、素朴な田舎の伯父さん風だ。
G・エリオットは図抜けた体格をもったヨットデザイナーだが、ラグビーと女性が何より好きで、ことに日本女性をアタックせずにやり過ごすことはできないほど重症だ。アメリカズカップ艇をデザインし、スピードの鬼と呼ばれているジョン・ライヘルはヒョロヒョロと長い体にメガネと、まるでコピュータ・オタクのようだ。
レース艇やお金になる豪華ヨットに背を向け、ひたすら自分の哲学的生き方をヨットのデザインに持ち込んでいるデザイナーがいる。James
Wharramが最初の23フィートのポリネシア・カタマランTONGOROAを設計、自作し、二人のドイツ人女性、ルースとジェッタをクルーとして乗せ大西洋、太平洋をクルージングしたのは1953年のことだ。
そして“Two Girls Two Catamarans”という実にユニークな本を書いた。現代の組織化された社会、セックス、男女関係、いわば西欧の人間社会から離れ、自己充足を求めた結果、その水平線上にポリネシアのカヌーを2隻並べ横棒で繋いだだけの船があった、と書いている。
Wharramのカタマランは方々で目にしたことだ。左右つながったような濃い眉に真ん丸い目玉のセールマークも変わっているが、船自体もマストが低く、ヨットというより帆かけ船の態で、いたって不恰好なのである。とはいっても見かけによらずよく走り、微風の時には我々のヨットに絶望的な差をつけて、「サーノ、引っぱてやろうか」などと叫びつつ舷側をすり抜けていくのだ。
Wharramは自作用の設計図を売っているのだが、図面も建造費用も格安だ。初めて彼に会ったのはロンドンのボートショウだった。彼は自分のカタマランの宣伝、プロモーションのためにパネル4、5枚ばかりの小さなスタンドを会場に開いていた。
結構な人だかりがしているので、釣られた格好で彼の展示を覗いた。人を呼んでいたのは彼の北欧系のガールフレンド、Hannekeの2枚のパネルのほうで、ヨットのコックピットに水を張りその中での自分の水中分娩を写真に撮らせ、その一部始終を展示していたのだ。
まさに盛大なる御開帳で、赤ん坊の頭が出かかったところから、無事に生み終え、安堵した表情の裸の母親が生まれたばかりの赤ちゃんを抱いているところまでの記録を連続写真で公開していたのだ。
ヨット、セーリング、クルージングはライフスタイルの総括であるから、人間の基本的な営みであるセックスも出産も重要な要素であり、目を背けることはできないとJames
Wharramは考えているのだろう。
ともかく、チャールス王子が訪れる会場に、そんな物を展示してはなどと言う声は全く聞かなかったし、猥褻物陳列だとオマワリさんがしゃしゃり出てくることもなかった。
第50回:ヨットは女性名詞か?