第2回:マザーズクラブに入る
更新日2001/04/17
1996年2月に一人目の女の子が産まれて、その子が1才になる直前の1997年2月にまた渡米した。今度は、カリフォルニアはサンフランシスコ郊外の、いわゆるシリコンバレーと呼ばれる地域。すでに夫が決めていた家は、小高い丘の上の一軒家で、あたりは閑静な住宅街。芝生や庭木の緑が豊かな場所だった。
遅れてアメリカに到着した私たちのために、当日とその翌日は夫が会社を休んで街の中を案内してくれたが、三日目には仕事に出ていった。夫が出かけたあとは、がらーんと広い家の中でやっと1歳になった子どもと一対一である。どこかへ出かけたくても、車は使えない(車はある。でも絶対帰りつけないだろうと思うと乗れない)、徒歩3分のところにある公園にも小さな子どもが遊んでいる気配はなかった。電話で誰かと話したくても、家族はもちろん、友人さえいない土地だ。夫に朝「いってらっしゃい」と声をかけたあとは、夜に「お帰りなさい」と言うまで誰とも話さないという日が続いた。
さすがの私もこれには参ってしまい、真剣にこれはどうにかしなければと考えた。それから毎晩、子どもを寝かせてから慣れないインターネットを使って、子どもを持つ母親のサークルを探すことになった。
「baby」「kids」「children」といったキーワードをあれこれ試してみても成果は得られず、がっかりして眠りにつく日が何日も続いた。
そんなある日、ふと思いついてキーワードを「mother」にしてみると、探していたものが出てきたのである。サンカルロス・ベルモント・マザーズ・クラブ。驚いたことに、このサンカルロスというのは、私たちが住んでいるこの街ではないか! 小躍りするような気持ちで、入会したいという趣旨のメールを担当者に出してみた。
3日ほどするとメールが返ってきた。3日後の木曜日に月例集会が開かれるから、そのときにぜひとのことだった。そして当日、どきどきしながら集会場になっているミーティングルームに入ると、20代後半から30代とおぼしき女性たちが大勢いた。娘を連れてきた私の予想に反して、子どもを連れている人は少なかった。彼女たちは、自分の夫か親、あるいはベビーシッターに子どもの面倒を任せてみんな一人でやってくるのだった。
子どもを持つ母親のグループとはいえ、中心となるのは「子ども」ではなくあくまで「母親」なのだ。子ども同伴だと思うように話ができないし、人によっては月に一度のこのミーティングを、子どもを抜きにして遊べる日として楽しみにしている母親も多いようだった。
「そうか、『○○ちゃんのママ』ではない私の居場所がここにはあるんだ」 知らず知らずのうちに私の頭の中にできていた、「母親と子どもはいつでも一緒」という図式が完全に裏切られた。目からウロコが落ちたような気がした。そう思うと気分が軽くなった。「たとえ子どもがいても私は私であることに違いはない」と思っていたつもりだったはずなのに、いつの間にか自分の行動や考え方に自ら枷をはめていたことにあらためて気がついたのだった。
このクラブに入ったのは正解だった──私はその日のうちにそう確信した。
→ 第3回:プレイグループ