■ダンス・ウィズ・キッズ~親として育つために私が考えたこと

井上 香
(いのうえ・かおり)


神戸生まれ。大阪のベッドタウン育ち。シンガポール、ニューヨーク、サンフランシスコ郊外シリコンバレーと流れて、湘南の地にやっと落ち着く。人間2女、犬1雄の母。モットーは「充実した楽しい人生をのうのうと生きよう」!


第4回:最初の日々
更新日2001/05/01 

最初にネックになったのは、もちろん言葉だった。

とりあえず以前住んでいたシンガポールでの苦しい英語修行を経て、日常会話なら何とか大丈夫といえるくらいにはなっていた。 人間というものは切羽詰まらないと何事も上達しないものだ。この一言が通じないとビザが取れない、となると体裁や文法などかまっていられない。たとえ自分の英語がめちゃくちゃだとわかっていても「私の言っていることがわからないのはあなたが悪い!!」という暴力的な度胸もついてしまうのだ。2時間後に離陸してしまう飛行機(それも国際線)に乗るためのタクシーが呼べない! となると、恐ろしい訛だらけのシングリッシュ(シンガポール訛英語をこう呼ぶ)だって、気合いで聞き取れるようになるのだ。

しかし、このカリフォルニア生活では新たな問題が出てきた。今までは英語で話していたといっても、同時に会話する相手は1人か2人くらいのものだった。さらに、これまで親しくしてきた友人たちは、互いに話す言葉はとりあえず英語であっても、母国語は英語じゃないという、ヨーロッパや南米から来た人たちが多かったのだ。つまり、「自分の英語はちょっと心許ない」という思いが双方にあって、だから相手の英語がちょっとくらい変でもそれを理解しよう、という気持ちがとても強い。だから英語は不自由でも意志の疎通は面白いくらいするするできちゃう、という環境に慣れていたのである。

が、今回はどう考えても母国語は英語(英語しか話せない、多分)という20代後半から30代前半の母親が4?5人集まって井戸端会議をするのだ。たぶん、どこの国でもそうだけれど、3人以上の仲のいい女同士で話し始めると何が起こるかというと、1)みんな早口、2)相手言うことに茶々を入れたがる、3)話題がすぐ飛ぶ、4)個人的な情報を知らないとまったくわからない話がほとんど──という、英語が不自由な私にとってはまさに地獄の4すくみが勢揃いとなるのである。もちろん、心優しき我が友人たちは、要所要所で部分説明をしてくれるのだけれど、やっぱりダメ。ホントの気分はリスニングのテストを毎日されているような緊張感。

そして、もう一つはこのプレイグループで私は唯一の「有色人種」。残りのメンバーはいわゆる「金髪碧眼」の白人だった。シンガポールにいたときは、国自体が中国人、マレー人、インド人、白人系と色とりどりだったし、ニューヨークにいたときは、なんとなく日本人とのつきあいが多かったのだ。まるっきりアメリカ人の白人のなかに、私が一人だけ混ざっているという状況には戸惑うものがあった。ここでいう「まるっきりアメリカ人」というのは、外国への旅行や在住経験がほとんどない、アメリカのことしか知らない、無意識のうちにアメリカの常識を世界の常識と思っているアメリカ人を指す。おそらく普通のアメリカ人はみんなそうじゃないかな。ただし、だからそれがイコール「排他的な人々」という意味ではない。普通は無邪気に親切ないい人たちなのだ。

大学で文化人類学を専攻していたおかげで、人種・宗教差別の根深さや理不尽さにはやるせない思いがあった。さらに、ニューヨークに住んでいたときに、おそらく私が黄色人種であるがゆえのいやな思いを何度かしたことがあったので、天真爛漫に「仲のいいお友だちができた!」とは思えなかったのだ。なんといっても、インテリほど自分に差別的な感情があるということを隠そうとする理性が働くわけだから…などと、最初に一人っきりの寂しい思いをしたために、かなり疑い深くなっていた。ホントは、友だちができて、とても嬉しくて素直に喜びたいのだけれど、あとでがっかりするようなことがあったら悲しいから、心のどこかでブレーキをかけていたことは否定できない。

そんな風に懐疑的になりながらも、一人っきりで家にこもって1才の娘と二人っきりでずっと日を過ごすよりはよっぽど楽しくて週に一度のプレイグループの日を待ち焦がれるようになった。

 

→ 第5回:イン・ア・ピンチって何!?