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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2020/01/23

 

第27回: 狂乱のオルランド

 

1879年、あなたはイタリア人の詩人ルドヴィコ・アリオスト(1474~1533)の、イタリアルネサンスを代表する大冒険騎士物語長編詩『狂乱のオルランド』を発表しました。そこに掲載された絵の総数は618点にのぼります。大判版画が81点ありますが、なかには木口木版だけではなく、その頃に開発された新しい印刷技術、ドレの描いた線画をそのまま印刷製版して印刷するいわゆる凸版印刷技術を用いたものがあります。

印刷は次第に写真の技術を利用した製版技術が発達して、木口木版の技術は急速に廃れていきます。つまり精巧な版画を彫る職人がいなくなっていきます。石版画(リトグラフ)も次第にその技術を応用したオフセットへと移行し、やがて四色分解を用いたカラー印刷も始まります。

しかし初期のオフセットによるカラー印刷のレベルは、日本の浮世絵のような多色刷り木版画やクロモリトグラフを用いた多色刷り石版画のように、熟練の技を持つ職人が色ごとに精巧な版を重ねてつくった美しい版画の足元にも及びませんでした。カラー印刷は次第にレベルを向上させていきますけれども、そこそこのレベルに達するまでにずいぶん長い時間と試行錯誤が必要でした。


視覚伝達技術においては、一般的に新たな技術が登場してもしばらくの間は、それまでに成熟していた技術による表現レベルには遠く及びません。したがって版画と写真と印刷のように、すでにあった技術と新たな技術とは一般に共存します。そうしてそれぞれの技術は互いを意識しながら自らの特性や技術や表現上の可能性を高めようとするなかで、あるものはより成熟し、あるものは次第に廃れてそれまで自らが担ってきた役割を他の技術に譲ります。そのとき重要なのは、そうした競争の中で廃れた技術の表現力が、新たな技術の表現力より劣っていたというわけではないということです。

人間は基本的に美しいものが好きですし、誰かが見たものを自分も見たい、誰かが持っている美しいものを自分も手にしたいという欲求や、美しいものを後世に残したいという願望を持っていて、それが絵画のみならず文化やアートを生み出す基本的な原動力です。版画や写真や印刷の技術なども、そのような人間らしい願望を叶えるものとして発達してきました。

そして十九世紀の後半に入ると、版画技術が写真技術と合体して機械的な印刷技術に取り込まれ、やがて印刷と写真が視覚伝達技術の主流となり、今日ではコンピューターによるデジタル画像が他を圧倒するようになっています。

だからといって当時の版画のクオリティや表現性が写真や印刷、さらには今日のデジタル画像に劣るわけではありません。二百年も前のゴヤの銅版画や北斎の浮世絵、百八十年も前のドーミエの石版画、百三十年前のロートレックのカラーリトグラフなどは現代の高度な印刷やモニター上の画像に決して劣りませんし、質感などはむしろより豊かです。それは表現者が優れていたからというだけではなく、その技術に備わったテクスチャーや色彩などのありようそのものに、その技術に特有の魅力があるからです。もちろん油絵や水彩や顔彩やテンペラも同じです。それらの視覚表現技術には人々が長い時と工夫を重ねて蓄積してきた技や効果などの表現上の方法が豊かに備わっています。

十九世紀の末期にヨーロッパで大流行した、多色刷りクロモリトグラフの技術によるシール、大衆的な趣味の印刷物(クロモス)などにも、今日の印刷によっては再現できない、あるいは再現しようと思えば多大なコストを要するほどのクロモスにしかない精度と魅力がありました。

しかし歴史的な作家の版画などが今なお高価な貨幣価値を保持しているのに対し、クロモスは印刷の普及とともに急激に姿を消して、もともと大衆的で安価なものであったために、そのほとんどはこの世から失われてしまいました。クロモスが安価だったのは、名も無い職人の手間賃が安かったからです。もちろんそれでも暮らしていける社会だったからこそ多くの職人たちが存在し、クロモスの美しさもまた彼らの高度な技に支えられていました。


しかし四色分解によるカラー印刷が普及し始めると、クオリティがはるかに劣っていたにも関わらず、似て非なるものが版画やクロモスを駆逐し始めます。手間のかからない印刷の方がはるかに安くできたからです。

つまり時代は近代の産業化時代に突入し、近代のメカニズムにとって重要な、「より早く、より大量に、より安く」という力学が強く作用して職人技を衰退させてしまったということです。そしてそのことによって物としての魅力を失ってしまったクロモスは、やがて姿を消してしまいました。

同じように工芸においても建築においても、職人芸に支えられた美が、ともすれば劣悪なクオリティだけれども安価なものによって社会の隅に追いやられていくようになりました。

これは視覚表現や幻想(イメージ)共有や文化ということでいえば、実は悲しむべきことでした。こうした流れを憂いたあなたと同世代のウイリアム・モリス(1834~1896)たちが、アーツ&クラフト運動を展開して、自ら美しい本や工芸品や建築を創るとともに、新たな時代のデザイン感覚を取り入れた美しいものづくりの復権を試みましたが、パワフルな近代のメカニズムと金融資本主義は、高度な技術を身につけた職人たちが生きる場所や彼らを評価し育てる社会的な仕組みを次第に奪っていきました。

表現というものは、用いることができる技術やそれによってなしうる表現が多様であればあるほど成熟しますし表現レベルも向上します。自然界でも同じ種類の生命しか生きられない環境が貧しいのと同じように、また特定の価値観しか受け入れない社会が非人間的であるように、社会や文化の豊かさは多様性によって育まれます。

今日のようにコンピューターとウェブが情報伝達の主流を占めるような時代であっても同じです。ウェブのなかの表現ツールが限られれば、そこからは、そのツールのプログラムの枠に収まる表現ばかりが蔓延します。もしウェブやコンピューターが、それ以外の表現手段を駆逐してしまうようなことが万が一にも起きれば、つまり近代のメカニズムをさらに推し進めた「瞬時に、無限大の情報を、ほとんど無料でやり取りする」ようなメカニズムしか生き残れない仕組みに社会がなれば、後にのこされるのは文化的な次元でいえば、数少ない種類の草がどこまでも生い茂る殺伐として荒涼とした不毛の荒れ地だけです。そこはもう人間が人間らしく生きる世界ではありません。


晩年のあなたを取り巻く状況と、現代を生きる私を取り巻く状況とが、つい二重写しに見えてしまいましたが、ともあれあなたは視覚表現の世界において、職人技が成熟を極めた時代から近代の機械化文明へと移り変わり始めるまさにその瞬間を生きました。

たとえば木口木版画の技術は、あなたの時代にピークを迎えました。というより、あなたがピークを創ったと言ってもいいでしょう。あなたのようなスター表現者だからこそできることだったかもしれませんが、あなたは自分が納得できる表現と仕上がりを求めて、極めて優秀な彫り師を抱え、彼らとともに木口木版画の表現のクオリティを高め続けてきました。

『老水夫行』や『狂乱のオルランド』は、そんなあなたの集大成とも言うべき作品です。そこにはあなたが最も愛した幻想的(イマージナティヴ)な世界が豊かに広がっています。

そしてあなたはその作品に新たな印刷技術を採用しました。それはあなたがペンで描いたスケッチをそのまま印刷するジロープリントと呼ばれた技術でした。それは基本的にはまだ主に小さなカットでしか使えませんでしたけれども、しかしより進歩すれば、それはやがて共に歩んで来たピサンなどの彫り師たちを必要としなくなることを意味しました。それがあなたにとって良いことだったのかそうではなかったのかはわかりません。

なぜなら、それによってあなたは自分の好きなように自由にペンで描くことができるようになりましたけれども、ただ、木に彫るという作業によって結果的にもたらされる、ほんの少し誇張された線の力強さは自ずと弱まります。

また木に彫らなければならないという技術上の制約から解き放たれることもまた表現にとっては両刃の剣です。自由に描けるということはそれだけ表現の幅を広げますけれども、同時に、現実的な制約がしばしば表現の、あるいは表現技術の飛躍を喚起するというマジカルなチャンスとの出会いを失わせることにもなるからです。


『狂乱のオルランド』は、大雑把に言えば奇想天外でなんでもありの、ファンタジー満載の大冒険騎士物語です。舞台設定としては一応レコンキスタの時代、イベリア半島を挟んで睨み合うキリスト教圏の王であるカール大帝の騎士団と、イスラム教圏のアフリカの王アグラマンテと彼の勇者たちとの戦いということになってはいます。

もちろん騎士物語にはなくてはならない絶世の美女、麗しのアンジェリーカ姫をはじめ多くの美しい女性も登場しますが、しかし物語のなかではそれぞれの想い姫を巡って双方の豪傑たちが、宗教の違いや主君の違いなどそっちのけの冒険を繰り広げ、加えて空飛ぶ天馬や妖怪や魔法使いなどがわんさか入り乱れて登場します。主人公のオルランドにしてからが、主君の命によるサラセンとの戦いなどより麗しの姫にすっかり心を奪われ、アンジェリーカ姫を探して世界の果てまで旅した挙句、恋狂いが昂じて正気を失ってしまう始末です。

要するにダンテの『神曲』によって幕を開けたといわれているルネサンス期のおおらかな人間性と、ルネサンス盛期からバロックにかけてもてはやされた幻想性とをミックスさせたような物語で、どうやらあなたにピッタリの題材です。『神曲』が三行詩による一万四千行余の詩であるのに対し、『狂乱のオルランド』は基本的に八行の詩で展開される三万八千行余の大長編詩です。どちらも物語の展開は壮大かつダイナミックで天衣無縫です。

詩の形式をとっている理由は、ギリシャ・ローマの時代はもちろん、旧約聖書の時代から、詩が文学の最も優れた表現形式とされているからですが、同時に、本が普及して黙読が当たり前のようになってしまった現代とは異なり、こうした特別な物語は声に出して歌うように読み、あるいは聴くものだったので、その時西欧の詩になくてはならない韻や、三行であれ四行であれ形式が決まっているというタガ、つまりは創作上の制約、あるいは不自由があってはじめて、それを乗り超えたところに壮大な物語に音楽的なリズムと聴いた時の心地よさと全体としてのハーモニーが生まれるからです。それが技芸というものの一つの本質かもしれません。


能書きはこれくらいにして作品を見てみると、この作品にあなたが、これまで培ってきた表現と技を大展開していることがよくわかります。


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これはサラセンの騎士ルッジェロが天馬のような怪鳥イポグリフォにまたがって浮遊している場面です。さまざまなハーフトーンを駆使した背景と浮遊するルッジェロとの対比、そして構図が見事です。


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これは美しい宮殿に佇みルッジェロを魅了する美女アルチーナを描いた絵です。スペイン各地を旅してつぶさにイスラム建築を見てきたあなたならではの描写です。このような絵を見ていると、あなたが自分の恋人は常にカンバスの向こうにいると言った気持がわかるような気がします。


同じような意味で、真昼に闇を、真夜中に光をもたらすことさえできる魔術を操る魔性の美女メリッサを描いたこの絵も見事です。あなたの表現力と職人技の結晶のような作品です。


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次に細かな線で描かれた作品を二点見てみます。最初の絵は邪悪な老婆ガルピーナを連れて旅を続けることになってしまった騎士ゼルビーノを描いた木口木版で、次は、愛馬バイアルドに跨って決闘場に向かうリナルドを描いた、ジロープリントによってあなたのペン画がそのまま印刷された絵です。

森の中の老婆の絵はいかにも不気味で、ゼルビーノを取り巻く奇妙な木の根が今にも怪物に姿を変えて襲ってきそうです。リナルドを描いた絵は実に細かく描き込まれていますが、あとを追って走る子犬の姿などの細部にあなたらしい遊び心が見られます。どちらも味わいのある作品です。


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あなたらしいスケールの大きな絵もあります。これはイギリスの王子さまでもある騎士アストルフォが怪鳥イポグリフォを駆って、壁面がルビーよりも鮮やかな赤い宝石でできた壮麗な大宮殿を探索している場面です。

その次の絵は、同じくアストルフォが、神から正気を抜け取られて狂ってしまったオルランドを連れて、旧約聖書の預言者エリヤを天に運んだ空駆ける馬車に乗り、体から正気が抜けて狂ってしまった人の正気が集められているという月の裏側にオルランドの正気を取り戻しに行く場面です。


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『狂乱のオルランド』では、奇想天外で壮大な物語に呼応して、それまであなたが培ってきた表現力を惜しみなく発揮しています。あなたは自分が心のうちに見ている情景、あるいはそれが活きいきと息づく時空間を絵に表して人に伝えることが本当に生きがいだったのだなということがよくわかります。

ウイリアム・モリスの『ユートピア物語』の中に、「こうして私が見てきたことを、もし、ほかの人も同じように見ることができたなら、それはもう、単なる夢というよりはむしろ、一つのヴィジョンと呼んでいいのではないでしょうか」という言葉がありますけれども、あなたの仕事とその喜びは、まさしくあなたが見ているヴィジョンをほかの人たちと共有することにありました。

なぜなら、あなたと誰か、そしてあなたと私とが、そのヴィジョンを絵を介して共有した瞬間から、それは一つの確かな命を得て私のなかで、そして無数の人々の心のなかで生き続けるからです。

それこそが、あなたが成そうとしたことでした。それはもう単なる画家の領域を超えた、天性のヴィジョンクリエイターであるあなたならではの働きでした。ヴィジョンを創るというのはつまり、誰かが自らの心の内に描いた何かに、この世で存在し続けることができるような姿と命を付与して、その何かを他者と共有できるようにすることです。


もう少し、こんどは『狂乱のオルランド』にふんだんに挿入されている活きいきとしたキャラクターたちを見てみます。

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なんと豊穣な創造力でしょう。あえて言うまでもないことかもしれませんけれども、こうしたキャラクターの表情や特徴やディテールなどが『狂乱のオルランド』の中に具体的に言葉で言い表されているわけではありません。これらは全て、物語に触発されたあなたが自らの想像力を駆使して創り出したもの、つまりあなたのなかに生命的で確かなイメージとして存在し、こうしてあなたの手によって誰もが見ることができる形に表された瞬間から、この世に息づきはじめる命を与えられたヴィジョンです。

もう一つ、三十九歌の後に唐突にこんな絵が載せられています。


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ルネサンスを代表する画家、レオナルド・ダ・ヴィンチが着ていたような服を着た人が、羽根ペンに乗って空を飛んでいます。『狂乱のオルランド』のなかにこのような場面があるわけではありません。作者の奔放さに触発されてあなたが遊び心で描いた絵でしょうけれども、これはもちろん、あなた自身でしょう。


詩や物語など文学的な時空間が好きで、それに自分なりの解釈を加えて絵にするのが好きで、音楽やオペラや山歩きや旅が好きで、人が好きで友人も多く、版画だけではなく油絵を描き彫刻を創りヴァイオリンを弾き、アクロバットまで人に披露していたあなたにとっては、言葉であれ音楽であれ絵であれ彫刻であれ建築であれ曲芸であれ、すべては想いや幻想やヴィジョンを他者と共有するための幻想共有媒体(メディア)であって、大切なのは、それらによって表された何かを介して人と人との間に成立する感動という名のコミュニケーションだということを、あなたは熟知していたのでしょう。

なぜならそうした人間ならではの力とその働きが文化や芸術を、人の社会の喜びを、つまりは人間らしさを創り出してきたからです。

神から与えられたとしか言いようのない、創造力や想像力や共感力や協働力や表現力、そんな人の内に宿る力を健やかに発揮することこそがあなたの夢であり仕事でした。

近代という時代に入り、産業化とあらゆることの金融資本化が進むにつれて、科学、経済、政治、娯楽や職業など、何もかもがジャンル分けされていきました。芸術の世界でもそれは同じでした。すべては人間らしい喜びや感動を分かち合うためであるはずの、本来はジャンル分けすることなどに意味はないはずの表現という行為が、文学や絵画や音楽や彫刻や建築などにジャンル分けされ、それらの間にあたかも異なる何かであるかのような見えない垣根のようなものができていきました。


しかし常に過剰なまでに表現し続けてきたあなたは、表現者として最後までジャンルの違いなど無視し、あらゆる垣根を軽々と自然体で飛び超えながら、そうではない路を歩み続けました。あなたが見ている幻想の時空間を飛翔し続け、それを形に表し続けました。

そう考えればあなたは確かに、あなた自身が小さな絵に密かに描き表したように、あらゆることに長けた、一人の優れたルネサンスマンでした。


-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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■連載完了コラム
『ひとつひとつの確かさ』~表現哲学詩人 谷口江里也の映像詩(→改題『いまここで  Here and Now』)
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現代語訳『枕草子』 ~清少納言の『枕草子』を表現哲学詩人谷口江里也が現代語に翻訳
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岩の記憶、風の夢~my United Stars of Atlantis [全57回] *出版済み

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鏡の向こうのつづれ織り~谷口江里也のとっておきのクリエイティヴ時空[全24回]
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随想『奥の細道』という試み ~谷口江里也が芭蕉を表現哲学詩人の心で読み解くクリエイティヴ・トリップ[全48回]
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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
第14回:神曲 煉獄篇、天国篇
第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
第16回:ドレ的な表現 2 群 像
第17回:ドレ的な表現 3 近景と遠景
第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
第20回:ドレ的な表現 6 ハーフトーン
第21回:ドレ的な表現 7 大空間
第22回:ロンドン
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第24回:ラブレー全集
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