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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/11/21

 

第24回: ラブレー全集


『スペイン』を発表した1873年、あなたはフィリポンから独立して間もない1854年に発表してあなたを一躍有名にした、いわば出世作である『ガルガンチュアとパンタグリエル』に手を加えて、この大巨人にまつわるラブレーの五つの物語を『ラブレー全集』として新たに発表しています。成熟期のあなたにとって、若干二十二歳の時の作品の完成度が満足のいくものではなかったからでしょう。

あなたが自らの存在を世に高らかにアピールした『さすらいのユダヤ人の伝説』は1856年であり、あなたの名声を揺るぎなきものにした『神曲 地獄篇』は1861年です。最初の『ガルガンチュアとパンタグリエル』を創った頃、あなたはまだ自分の作風を知り尽くした以心伝心の彫り師たちのチームを自らのアトリエに抱えてはいませんでした。また当時は盛んに風刺画の仕事をしていたこともあって、初期の作品には小さな判型の風刺画的要素を持つ作品が多く、仕上がりも後の版に比べればはるかに精緻さを欠いていました。

多くの優れた作品をすでに世に出したあなたは、文学的時空間を視覚化する仕事への実質的な端緒(たんしょ)ともなったこの作品を、版画表現技術をほぼ確立したと考えられるこの時期に、自分の表現レベルに相応しいものにしておきたかったのでしょう。

私にはこの頃からあなたは、成功とは裏腹の悩み、あるいは絶望とはいわないまでもこの世の儚さのようなものを、もしくは現実に対する諦念のようなものを意識し始め、そしてもしかしたら無意識のうちにも人生の仕上げに入ったように思われてなりません。

現実的には、あなたの作家としての名声は絶頂期にありました。ロンドンでは王家を含めて階級社会の頂点に位置する人々と親しく交際し、あなたのドレギャラリーの油絵はロンドンでは極めて評判が高く、高額で王侯貴族や富豪たちに買われました。海の向こうのアメリカにまで運ばれていく絵や、その途中で船が沈んで失われてしまった絵までありました。母国フランスとなかば亡命先のロンドンでの評価のギャップは、あなたに複雑な想いをもたらしたでしょう。

しかも愛する故郷のアルザスをドイツに奪われた哀しみは大きく、別荘もあったアルザスの山々を自由に歩けないことは、山歩きが大好きだったあなたに理不尽極まる痛みをもたらしてもいたでしょう。

そのうえ兄が病に倒れ、最愛の母が喘息に苦しむようになり、何かとロンドンでの仕事が多くドレギャラリーのための油絵の制作に追われていたあなたに会いたいと、パリの母親からしょっちゅう手紙が来ていたそうですから、できればイギリス人の女性との結婚をと考えていたあなたでしたけれども、ゆっくりと恋を育む時間などとてもなかったでしょう。

若くしてデビューして以来、睡眠時間を削って遊びと膨大な仕事とを猛スピードでこなしながら、まるで機関車のように疾走し続けてきたあなたの心と体は悲鳴を上げ始めていたのかもしれません。スペインへの大旅行も、もしかしたらそのような状況から距離を置く転地療養的な面があったのかもしれません。しかしそれさえも379点もの膨大な量の絵を載せた大仕事にしてしまうところが、いかにもあなたらしいところです。何よりも絵を描くことに命を燃やしたとしたいいようがありません。


決定版『ガルガンチュアとパンタグリエル』では、あなたは最初の作品のアイデアを生かしつつも、それよりはるかに構成のしっかりした、そして丁寧な作品を描いています。


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これは普通の大きさの人々の国を大巨人の王が治める物語の中で、グラングジェ王夫妻が、息子のガルガンチュア王子の誕生を祝って民を招待して催した大祝賀パーティの様子を描いた絵です。例によって画面から溢れんばかりの大勢の人々が実に丁寧に、そしてユーモラスに描かれています。


次の絵は、成長したガルガンチュア王子がパリに留学した時、パリに着いたガルガンチュアのあまりの巨大さに驚いて、巨人の姿を一目見ようと野次馬たちが大挙して押し寄せ足の踏み場がなくなり、またその騒動のあまりのすごさに恐れをなしたガルガンチュアが、思わずノートルダム大聖堂に避難したようすを描いたものです。とんでもない大巨人ぶりですが、これくらい大げさに描かないと釣り合いがとれないくらいこの物語そのものが奇想天外なのですから、これはご愛嬌です。ここでもノートルダム大聖堂やパリの街並みや、屋根によじ登ったりなどしている人たちも含めて群衆などが細かく丁寧に描かれています。


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このラブレーの全部で五話からなる物語は、ダジャレや下ネタや誇大妄想や数字などへの偏執やスカトロジー(糞尿話)満載の奇想天外という言葉はこの物語のためにあるのかと思うような突拍子もない本ですが、しかしそんなどんちゃん騒ぎのような、またそれを盛んに囃し立てる祭りのお囃子のような騒々しさから少し離れて見てみると、実は非常に人間的な、というより人間の欲望を丸ごと肯定するような、そしてその向こうにユートピアを夢見る純真な心が垣間見える不思議な物語です。

そんな物語に対してあなたは、新装版では特にラブレーと彼の物語の内にある人間的な理想主義、つまりルネサンスの盛期を生きたラブレーならではの時代的な精神に焦点を当てて、ダジャレや絵にするにはちょっとはばかられるようなスカトロジーなどに惑わされることなく、あなたらしく人間的で健康的でユーモラスな絵を満載させています。

たとえばこんな絵があります。これは隣国との大戦争があった後、ガルガンチュアの国と人々が将来、みんなでお腹いっぱい美味しく食べて恋をして、歌を唄ったり踊ったり、いろんなことをして楽しく遊び学ぶ日々を送れるようになる日を、つまりはユートピア(理想郷)の実現を夢見ている場面です。


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ちなみにこの作品にはなんと719点もの絵が載せられていて、そのなかにはここで見てきた大判の版画以外に、658点もの中小の挿絵があります。今日の漫画の先駆ともいうべき、それらの絵をいくつか見てみます。


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こんな緻密で細心な仕事をしながら、またさまざまな友人や上流階級とのお付き合いもし、彼らの別荘に出かけて釣りをしたり王太子妃に水彩画をプレゼントしたり、その合間を縫って少しは恋もして、さらにははるばるスペインにまで旅をして絵を描き続けたわけですから、しかも絵に関しては手を抜くということをしていないのですから、いくら描くスピードが速かったとはいえ驚異的です。

そしてあなたの描く絵のなかに、人間や社会に対する嫌悪や悪意や妬みなどのネガティヴな、あるいは病的な要素が表れていないのは、あなたの天性の資質によるものだったかもしれないとはいえさらに驚異的です。人間や社会の可能性や前を見続けることもまた、あなたの表現者としての一つの大きな才能だったのかもしれません。

 

-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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バックナンバー

第1回:ドレが描いた最初の絵
第2回:アリとキリギリス
第3回:才能と表現力の告知
第4回:自ら切り拓いた道
第5回:幻想の共有
第6回:ドレの肖像写真
第7回:私がみた最初のドレの絵
第8回:美しい悪魔
第9回:ペローの昔話
第10回:風刺画
第11回:ドン・キホーテ
第12回:ロマン主義
第13回:クロックミテーヌ伝説
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第15回:ドレ的な表現 1 ライティング
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第18回:ドレ的な表現 4 墨色の効果
第19回:ドレ的な表現 5 ペン画のような版画表現
第20回:ドレ的な表現 6 ハーフトーン
第21回:ドレ的な表現 7 大空間
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