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■ギュスターヴ・ドレとの対話 ~ 谷口 江里也

更新日2019/12/19

 

第26回: 十字軍の歴史

 

あなたは、サロンに最初の彫刻作品を出展した1877年から盛んに彫刻を作り始めますが、同じ年にジョセフ・フランソワ・ミショー(1767~1839)の『十字軍の歴史』への挿絵を施した二巻本が発行されています。

その頃あなたは、長年の念願だったシェークスピア作品やアリオスとの『狂乱のオルランド』を視覚化する構想を盛んに練っていましたし、『十字軍の歴史』の絵は、あなたにしては珍しく感情を抑えて描いていますので、私には『十字軍の歴史』は出版社からの注文を受けて制作した作品のように感じられます。挿絵の数が100点という分かりやすい数字であることからも、そのような契約をあなたが受けたということが察せられます。

またその頃のあなたはドレギャラリーの油絵の大作を描くのに忙しかったこともあり、若い頃のように依頼された挿絵の仕事を次々にこなすというのではなく、版画に関してはすでに自分が表現したい作品に限っていたように思われます。


ただミショーの『十字軍の歴史』は、ヨーロッパと中東、具体的にはキリスト教圏とイスラム教圏との二百年もの長きにわたって繰り返された戦いの歴史を双方の視点を入れて書いたちょっと珍しい本です。『十字軍』の遠征というのは一般的には宗教対立とされていますけれども、その始まりや理由や実態や意味などよくわからないところが極めて多く、決して単純な宗教対立などではありません。

今日の欧米とイスラムとの対立の構造がそうであるように、背景には複雑な経緯や背景や歴史があり、ましてや十一世紀から始まった十字軍の戦いはそれよりはるかに不可解で、根底に双方の価値観や社会体制や習慣の大きな違いがあったとはいえ、何もかもが検証不可能なほどの謎に満ちています。

もともとキリスト教とイスラム教とは、どちらも旧約聖書を源とする宗教です。キリスト教はアダムとエバの直系の子孫とされる今から約二千年前に生まれたイエスを神の子としその教えを敬う宗教であり、イスラム教は今から約千四百年前に生まれたムハンマドを、モーセやイエスなどの重要な預言者の系譜を引く最後にして最良の預言者であるとし、そのムハンマドが説く神と、彼の言葉を書き記したクルアーンを敬う宗教です。つまりキリスト教とイスラム教は、同じ親を持つ兄弟宗教にほかなりません。

大きな違いは、キリスト教がイエスを神の子とし神と同様の存在とするのに対し、イスラム教では神はアッラーのみであり、ムハンマドはあくまでも神の言葉を預かり民に伝えた最重要預言者であるとする点です。つまりイスラム教を信じるムスリムたちにとっては、キリスト教徒たちが人間であるイエスを神の子とし、その言動を新約聖書に著して敬っていることに納得がいかないわけです。

ただどちらも旧約聖書を重視しているのは同じであり、イスラム教に関してよく「目には目を、歯には歯を」という言葉が引用されたりしますけれども、この言葉は旧約聖書の、モーセが神から授かり民に示したさまざまな約束事の一つであり、もし他人を傷つけたりした場合は、相手に与えたのと同じ傷を自らが負って償わなければならないという意味であって、何もイスラム教が特に攻撃性を煽っているというわけではありません。

ジハードという言葉もよく聖戦という意味で使われていますけれども、クルアーンが説く意味としては、礼拝や巡礼をしたり、貧者や弱者に施しや優しくしたりするなど、神を信じ神に仕える気持ちを形に表すことに一生懸命努力しなさいということであって、何も戦争を鼓舞しているわけではありません。。


つまり教義や宗教としてのもともとの構造はキリスト教とイスラム教は似通っているのですが、ただキリスト教はキリストが十字架に架けられてから次第にヨーロッパに浸透して千年以上もの時が経った十一世紀には、その価値観が社会構造に組み入れられて単なる宗教のレベルを超え、王権と並んでローマ教皇を中心とするカトリック教会が絶大な権力を持つようになり、文字通り教皇が宗教の世界における皇帝のような存在になっていました。当時の人々や王侯貴族にとっては教会から破門されるということが一つの大きな恐怖でした。破門されれば死後に天国へ行く道が閉ざされるからです。破門の権限は教会が、突き詰めれば教皇が持つわけですから、そのことが教会の権力と直結していました。諸王が教皇の命令に従わざるを得なかった事情がそこにあります。

宗教や権力が強くなればなるほど、また広域に広がれば広がるほど分派対立や勢力争いが起きるのは世の常で、十字軍の始まりとされる十一世紀の終わりには、かつてのローマ帝国もキリスト教会もヨーロッパの西と東に統治権が分かれ、互いに競い合ったり対立しあったり分派活動が活発になっていました。またキリスト教がヨーロッパ全土に広まったのに対し、イスラム教は主に中東や北アフリカ、さらにはイベリア半島に急激に広まっていきました。

その宗教上の勢力争いと、統治国家の形態をとり始めた国同士の領土や経済圏などをめぐる対立とが重なり合い、経済圏や領土などの支配権をめぐる国家的な対立が、宗教の違いを利用して戦争に至ったり、あるいは宗教上の統治権争いの代理戦争としての国と国との戦争が行われたのが、十字軍という奇妙な戦争の一つの大きな背景でした。


ヨーロッパの中心部から西ではカトリック教会の権威が行き渡っていましたが、現在のトルコのイスタンブールであるコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国では、キリスト教もコンスタンティノープル総主教庁を中心に、いわゆる正教会とよばれる地域性を重視した独自の広まり方をしていました。東ローマ帝国と正教会は西のカトリック教圏と東のイスラム教圏との間にあって、とりわけ現在のトルコから以東のイスラム教圏と隣接しているために、常に東からの圧力を受けていました。

そして十一世紀の終わりには、かつて東西南北の交易の中心として栄えたコンスタンティノープルの勢いは衰え、東側からたびたび侵略の脅威を受けるようにさえなっていました。東ローマ帝国の衰退はすなわち正教会の衰退を意味します。そのためなんとか自らの勢力を誇示し、東方のイスラム教を排して中東を正教会の支配下に取り込みたいというのが正教会側の悲願であり、逆にコンスタンティノープルの弱体化を機に勢力圏を一気に拡大しようというのがカトリック教会側の思惑でした。それらが重なりあったところに十字軍の基本的な動機があると考えられます。

またヨーロッパの西のイスラム教圏下にあったイベリア半島では、カトリック教会の意を受けて、いわゆるレコンキスタ(失地回復)がすでに始まっていました。


しかし十字軍を編成して、イエスが十字架に架けられた場所であるエルサレムをムスリムたちの手から奪回せよというローマ教皇の急ごしらえの錦の御旗の下に各地から馳せ参じた者は、そこそこ数は多かったものの、軍隊の体(てい)をなしてはおらず、諸王が派遣した軍隊に混じって戦に参加すれば教皇さまがいろんな過去の罪をお許しくださり、それによって地獄行きを免れることができるらしいということで、食い詰めた農民や女子どもまでもが集まってきていました。

当然のことながら兵糧も持たず武器らしい武器も持たない彼らは、ほとんど巨大な難民集団のようなものといってよく、また兵士たちにもこれといった規律がなく、しかも教皇のお墨付きの聖戦という錦の御旗を掲げて正義は我らにありと思ってもいましたから、進軍の途中で彼らが略奪集団と化したのも無理はありません。イスラム教圏に入る前にすでに豊かなユダヤ人を虐殺してその財産を奪ったり、同じキリスト教徒なのに正教会圏下にあるハンガリーなどでも宗教の違いを理由に平然と略奪を行ったため、ハンガリー正規軍の反撃に遭って、かなりの参加者が目的地のエルサレムには入れずに命を落としてしまっています。

要するに何もかもがある意味ではめちゃくちゃで、参加した多くの人々の頭の中には正教会派の人々も同じキリスト教徒であるとか、キリスト教そのものがユダヤ人によってつくられたものだという基本的な理解や教養そのものが欠落していました。。

また一生に一度のメッカへの巡礼を義務付けられているイスラム教圏のムスリムたちから見れば、そんなならず者集団であっても、それでもとにかく彼らが聖地と称するエルサレムを目指しているということであれば、その行く手にわざわざ立ち塞がって戦闘を交えるのも大人気ないと、なんとなく思っていたかもしれません。彼らに施しをした街があったように、貧者には施しをするのがイスラム教徒たちの義務だからです。

そしてこのままでは危ないと思った教皇が、各地の諸王たちに正規軍の派遣を要請したため各地から騎士団なども合流し、十字軍は結局悲願のエルサレム入城を果たすことになります。


十字軍について随分と話してしまいましたが、私が言いたいのはこの戦いには、どんな戦争もそうであるように正義など存在しないということです。しかしながら二百年もの長きに渡って繰り返されたこの十字軍の遠征は結果的に、ヨーロッパ社会に、良くも悪くも東西南北の文化と文明の交流をもたらしたということです。

しかも当時のヨーロッパに比べて、イスラム教圏の文化はより成熟していて、建築や灌漑や天文学や航海術などの技術においても格段に優っていて、そこで学んだことが後のヨーロッパの興隆につながりました。

イベリア半島ではレコンキスタのさなかにも、トレドの都には『トレド翻訳院』という図書館兼研究所があり、そこではアラビア語に訳されたギリシャ・ローマの文献やイスラム文化に蓄積された様々な知識がラテン語に翻訳されていました。

イスラム圏との接触によって彼らの栄華と文化のすごさを身を以て知った、交易の興隆に伴って栄えたベネチアやフィレンツェの富豪たちの後ろ盾がなければルネサンスは起きなかったでしょうし、そしてコロンブスが西回りでジパングにまで行けるはずだという確信を持つこともなかったでしょう。

ともあれ、当事のヨーロッパと中東とは文化的に大きなギャップがあり、十字軍の遠征は、その現実を目の当たりにする大きな機会にはなりました。あなたの『十字軍の歴史』のなかに、『オリエントの豊かさに羨望の目をみはる十字軍の兵士たち』と題されたこんな絵があります。


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ローマ教皇やコンスタンティノープル総主教庁の思惑が何であれ、また参加した諸王の目論見が何であれ、個々の兵士たちにとっては、豊かなオリエントを攻めることによって得られる何かが、長い遠征に参加する一つの大きなモチベーションではあったでしょう。


ただ、戦争は、どんな戦争であっても双方に深い傷と遺恨と復讐の念を遺します。戦いが戦いを、憎悪が憎悪を呼び、敵愾心(てきがいしん)ばかりが増幅されて、やがて対立は修復不可能なところにまで至ります。

次の二点の絵のうちの最初は、後続の十字軍が、先行部隊の壊滅の惨状を目撃した場面です。そして次の絵は、十字軍によって殺害されたムスリムたちの首が、彼らの街に投げ入れられている場面です。


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戦争は、国にとっては勝った負けたの争いであっても、そこに参加したどちらの側の兵士にとっても自らの命を賭けた殺し合いであり、そしてそこで命を落とせば、自らの未来が消え失せるのみならず、関係する多くの人々に深い悲しみと打撃をもたらします。

この絵は旗をなびかせて出陣する部隊を見送っている場面です。赤ん坊を背負った女性は、夫が出征するのでしょうか。残された家族はイエスさまに無事を願うしかないのでしょうか。


そして次の絵は、一人の騎士の帰還を描いたものです。おそらく多くの仲間が命を落とし、帰ってきたのは彼だけなのかもしれません。女の人が泣き崩れているお墓のそばに僧侶が立っているところをみれば、既に亡くなった人の葬儀が行われているのでしょう。遠く遥かな場所で命を落とした人の遺体が戻ってくるはずもないとすれば、この墓は、十字軍に参加した人たちのための共同の墓なのでしょう。


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『十字軍の歴史』という作品では、あなたの絵のトーンは全体的に静かで、実に寡黙に見えます。淡々と、しかしあなたならではの精緻さと正確な構図と円熟した表現力によって描かれた絵が続きますが、最後に全体のなかではちょっと異質な絵があります。スペインでのレコンキスタによって陥落するイスラム最後の拠点グラナダのアランブラ宮殿を去るサラセンの王を描いた絵です。


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スペインが好きで、グラナダやコルドバなど、イベリア半島に咲いたアル・アンダルース文化の華というべき美しい建築や街に魅了されたあなたならではの作品です。

『十字軍の歴史』を制作したあとあなたは、かねてからの念願だった『狂乱のオルランド』に取り掛かります。『狂乱のオルランド』はルネサンス後期の作品であり、レコンキスタにおけるキリスト教サイドの騎士たちと、サラセンの豪傑たちとが入り乱れて麗しのアンジェリーカ姫を巡って繰り広げる壮大な波乱万丈の騎士物語で、いかにもあなた向きです。

もしかしたらあなたにとって『十字軍の歴史』は、キリスト教徒とイスラム教徒との戦いに関する予備知識を得るための、そして何より『狂乱のオルランド』を描くための、準備運動のようなものだったのかもしれません。



-…つづく

 

 

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谷口 江里也
(たにぐち・えりや)
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本や歌や建築、さらには自治体や企業のシンボリックプロジェクトなどの、広い意味での空間創造を仕事とする表現哲学詩人、ヴィジョンアーキテクト。
主な著作に『鏡の向こうのつづれ織り』『鳥たちの夜』『空間構想事始』『天才たちのスペイン』、主な建築作品に『東京銀座資生堂ビル』『ラゾーナ川崎プラザ』『レストランikra』などがある。
なお音楽作品として、シンガーソングライター音羽信の作品として、アルバム『わすれがたみ』『OTOWA SHIN 2』などがある。

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