第712回:陪審員となって体感したこと
初めて陪審員になりました。
今まで何度か裁判所から陪審員候補の呼び出しが来ましたが、いつも裁判そのものがキャンセルになったり、第一ラウンドの書類選考で落ちたりでした。ズーッと陪審員を務めてみたい、裁判を内側から知りたいと思っていましたから、今回、3回も難関を突破して、晴れて陪審員に選ばれたのは喜ばしいことでした。
最初に裁判所に召集されたのは300人を超していましたから、最終選考で12人プラス4人のピンチヒッター(陪審員が急病になったり、交通事故にでも逢い、欠員ができた時のためです)の16人に選ばれるのはナカナカ大変なことなのです。
コロラド州では、どのような理由があっても職場、会社は、陪審員になった人に対して、その日時に職場を離れることを許可しなければなりません。それを拒否すると犯罪になります。
陪審員はたとえ家族とでも裁判の内容を話してはいけませんし、関わっている事件を、テレビ、ラジオで観たり、聞いたりしてもダメだと言うのです。インターネットで簡単に知ることができる事件の全貌を、前もって開いてみるなど問題外だと言うのです。
私の場合、家にテレビはないし、新聞も読みませんから、今回の殺人事件のことなど全く知りませんでした。その点だけはクリアですが、どこの誰が、1週間以上、見ざる、聞かざる、しゃべらずで過ごせるもんですか。こっそり内緒ですが、毎日、その日の審議、証人尋問、検察官と弁護士のやり取りを詳しくダンナさんに打ち明けていたのでした。
これが違法行為になるのは承知の上でしたが、ウチのダンナさんはモトモト仙人みたいな暮らしをしていますから、鹿かウサギ、狐くらいにしか出会う可能性がなく、彼から2本足で歩く人間に漏れることは考えられません。それに、事件は残虐でしたし、陪審員席で緊張の連続でしたから、私としては、それを語り、しゃべり、ストレスを放出する必要があったのです。
頭の天辺まで刺青だらけの殺人犯…でなくて、その時点では容疑者でしたが、私から2メートルほどの距離に座っており、いつも彼のスキンヘッドの刺青頭を見なければならないのは、不気味な体験でした。
事件は「メタンフェタミン(Methamphetamine;英名:メスファタミン)」という覚醒剤が絡んだ殺人事件でした。この覚醒剤は日本で古くから知られているヒロポンと同類で、「スピード」とか「シャブ」として知られている常習性が強く、中毒になり易いとても危険な麻薬です。第二次世界大戦中は日本の特攻隊や潜水艦乗組員に投与し、この覚醒剤で人工的に興奮させ、死を恐れない状態になるように使っていましたし、ナチスドイツもこのメタンフェタミンを主体にした「ペルビチン(Pervitin)」という錠剤を兵士に持たせていました。ですから、効果のほどは実証済みでした。この麻薬、即効性があり、即時に興奮状態になり、しかも精力増進に奇跡的な効果があるので、アメリカでは「Party & Play」(乱交パーティーのようなものでしょうか)と呼ばれ、その種のパーティーに欠かせない麻薬になっています。
私が働いていた大学のある町、主な産業は老人ホームと病院という人口10万人足らずの町に、ドラッグ・ディーラーが幾人かおり、いくつかのマフィア・ギャングが存在し、抗争し、しかも麻薬(メタンフェタミン)の精製工場(と言っても至って簡単に精製できるので、大き目の台所程度のものですが…)があるのに驚いてしまいました。そして、コカインやヘロインと違い、いとも簡単に水晶状の結晶を鍋釜だけで作ることができることを知りました。それに価格もヘロイン、コカインと比べ格段に安いのです。世界市場?をコントロールし、輸出に励んでいる国がミャンマーだと知り、さらにビックリ仰天でした。
検察側の証拠は実に詳細、具体的で、携帯電話でのやり取りや、GPSで携帯電話がどこから掛けていたか、その携帯電話を持っている人間がどのように移動しているかなど、点と線ですべて分かることにもショックを受けました。どんなテキストメッセージでもFBIの手にかかると丸見えなのです。
犯行そのものは、いかにも頭の悪い中毒患者の売人が麻薬シンジケートのボスと殺された男性の内縁の妻に依頼されて彼女の家のガレージで射殺したというズサンなもので、弁護側は容疑者が事件当時麻薬の禁断症状が激しく、善悪の見境が付かなかった、よって、一番罪の重い計画的な殺人には当たらない…と弁明していました。しかし、犯人は拳銃で2発打ち込み、確かに殺したという写真を携帯カメラで撮り、ボスに送っているので、検察側は事件当時、容疑者ははっきりとした意識があったと反論しています。
彼自身も殺人を認めていました。
死刑絶対反対の私にとって、幸いだったのは、2020年からコロラド州では死刑が全廃されいたことです。ですから心置きなく“有罪”に一票を投じることができたのです。終身刑プラス20年、しかも恩赦なしというものでした。
殺人を依頼した女性の方は、別の裁判で58年の禁固刑を受けています。それに麻薬団のボスと彼の息子、死体を山へ運び埋めるのを手伝った相棒、実行犯を州外に逃亡させようとした友達など10人近くが逮捕され、判決を待っています。
こんな社会の落ちこぼれ、麻薬中毒の犯罪者を裁くため、司法省は膨大な時間とお金(私の日当は一日50ドルでしたが…)を使い、それはもう呆れるくらい詳しく、丁寧に立証していくものかを見せてくれたのでした。テレビや映画のように検事と弁護士が派手な弁論のやり取りなどは全くなく、終始冷静にかつ論理的に裁判は進行しました。間違いなど起こり得る可能性はないと言い切ってもよさそうなのです。
小学校でしたか、中学校かで習った三権分立の民主主義を垣間見た思いです。そして、民主主義というのは間違いを起こさないためだけに、何と多くのムダを踏んでいるものか感心してしまいました。フィリピンの大統領、ロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)のように、麻薬がらみで疑わしきはすべて逮捕、その時抵抗する者は射殺とやれば、国庫にあまり負担を掛けなくて済むのでしょうけど…。
私たちの税金で、この一見ムダに思える裁判を行っているのですが、それが民主主義の一面なのでしょうね。陪審員の義務から解放された時、重い荷を肩から降ろしたような気分になったことを認めない訳にはいきませんが…。
-…つづく
第713回:死刑と冤罪の関係
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