■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで
第51回~第100回まで

第101回:外国で暮らすこと
第102回:シーザーの偉大さ
第103回:マリファナとドーピングの違い
第104回:やってくれますね~ 中川さん
第105回:毎度お騒がせしております。チリカミ交換です。
第106回:アメリカのお葬式
第107回:不況知らずの肥大産業
第108回:ユニホームとドレスコード
第109回:大統領の人気投票ランキング
第110回:ストリップ
第111回:ストリップ その2
第112回:アメリカの裁判員制度
第113回:愛とLOVEとの違い
第114回:ブラックベアー
第115回:父なき子と母子家庭
第116回:世界に影響を及ぼした100人
第117回:当てにならない"誓いの言葉"
第118回:東西公共事業事情
第119回:"純"離れの文学賞
第120回:国歌斉唱と愛国心
第121回:世界で一番物価の高い町は…
第122回:国旗を逆さまに揚げた神父さん
第123回:子供を成長させるサマーキャンプ
第124回:現代版オロチ出没
第125回:アメリカの幼児死亡率の現実
第126回:初秋の頃の野生動物たち


■更新予定日:毎週木曜日

第127回:新学期に思うこと

更新日2009/09/17


アメリカの学校は、8月の終わりから9月の初めにかけて始まります。始業式のようなものはありません。私が勤めている大学では、授業が開始される日の1週間ほど前から、新入生向けに、この大学全般のオリエンテーションがあります。どんな授業を取ったらいいか、どの寮に住むかなどなど、先生や事務の職員、学生のボランティアなどが、新入生が早くすみやかに大学生活を送れるようアドバイスします。

私も毎年借り出されて、新入生のカウンセリングアドバイサーをやります。何を専攻するなら、1年目にどんな必須科目を取らなければならないか、などなど、どれも新入生マニュアルに書いてあることなのですが、アドバイスします。

そんなカウンセリングに、これも時代の流れなのでしょうか、親が、主に母親ですが、付き添ってくるケースがとても多いのです。

「ダレダレちゃん、お母さんが付いているから大丈夫ですよ…」とでも思っているのでしょうか、私たちカウンセラーにも子供(といっても大学生になる17、18歳の大人です)をさておいて母親の方が質問してくるのです。

私はできるだけ新入生の顔、目を見て話すように心がけていますが、新入生に代わって母親が私に答えるのです。これでは新入生もますます黙り込み、すべてお母さんに任せ切りになってしまいます。どうにも"子離れ"のできていない親が多すぎます。これでは独立心のある社会人が育つわけがありません。と、同僚の先生たちと、世代の相違、今の若者の軟弱さを盛んに嘆いているのです。

親元を離れ、独自で大学生活を始める日は緊張とそれ以上の開放感、喜び、感動があっても良いはずです。私たちの時代では、大多数の学生がそんな熱に浮かされたような気分で大学に入ったものです。今の学生さんから、熱気というのでしょうか、情熱というのでしょうか、何かを、全身全霊を打ち込んでやろうとする意志が感じられないのです。シラケの世代とでもいうのでしょう、あって当然な眩しいくらいの若さとエネルギーの輝きがないのです。

先週末、隣町モアブの音楽祭に行ってきました。小さな町らしく、つつましいクラシックとジャズの音楽祭でした。芝生にテントを張り、キューバからのラテンジャズのグループがそこで演奏しましたが、ほんの300-400人しかいない観衆のノリの凄さに圧倒される思いでした。

そして、観客の90パーセント以上は定年退職をした、お爺さん、お婆さんで、おそらく平均70歳は軽く上回っていたことでしょう。彼らの中では、私たちはまだ若く感じたほどです。彼らは熱狂し、僅かなスペースを見つけては踊り出し、そんな隙間を占領できない人は折りたたみ式の椅子をずらし、その場で立ち上がり、体を揺すり、踊り出したのです。

コロラド川の川沿いにテントを張っただけのステージから繰り出される音楽は、そこに集まった老人の観客を熱狂の坩堝(ルツボ)に陥れたのです。

あのような興奮と熱狂はどこからくるのでしょう。ベトナム戦争時代を体験し、ウッドストック、ヒッピージェネレーションを経て、今は老齢となった私の同世代の人々の若さへの郷愁がそうさせるのでしょうか、一度若い頃に燃えた火花は消えることなく、体のどこかで燃え続けているのでしょうか。

ソクラテスの時代から、いつも老人は、「今の若者は……」と愚痴(グチ)を行ってきました。逆に「今の若者は……」と言い出したら、言った本人がそれだけ歳だ、という証拠になっています。

少年、少女だった新入生の、その何分の一かですが、1、2年経て急に青年に変身することがあります。私には急に見えますが、もちろん本人は徐々に変わっていくのでしょう。第一、顔つき、目つきから違ってくるのです。学問がそうさせた、と思いたいところですが、きっと色々な要素、親元を離れて暮らすことや、恋愛または失恋をして、そして政治や社会意識が芽生え、大人になっていくのでしょう。

年に2、3人ですが、私の元に針路相談に来る生徒さんがいます。私が教えている言語学を大学院で続けたい、自分が興味を持っている言語学のある特定の分野ではどこの大学の大学院がいいだろうか、と私の授業に触発された生徒が(これも私の希望的観測かもしれませんが…)相談にくるのです。これほど教師にとって嬉しいことはありません。私は最大の喜びをもって、紹介状、推薦状を書き、その分野で偉い先生のいる大学院を勧めます。

今年もまた、赤ちゃんみたいな新入生ばかりだと、嘆いてはいるのですが、3年、4年後に変身し、その中から何人か学問を続けようという生徒さんが一人でも出てくれれば、私の仕事は報いられるかな、と思ったりします。

 

 

第128回:日本人と文化の厚み