■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)

 

■更新予定日:第1木曜日

第4回:天国への階段(後編)

更新日2005/05/05


サガダとバナウェの間には、ボントックという町がある。町中には棚田はないが、ここには来る価値がある。なぜなら昔ながらの民族衣装を身につけたじいちゃん、ばあちゃんが周辺の村々から続々と集まってくるからだ。おそらくボントックはフィリピンで一番ふんどし着用率が高いと思われる。ふんどしじいちゃんのメッカなのである。しかも、ばあちゃんも負けてはいない。頭にぐるりと蛇の骨を巻き、独特な織物のスカートをはいている。彼らの子供はすでに日常的に民族衣装を着ることはない。着るのはせいぜい年に数回、祭や儀式のときだけだ。最後の世代に会えてよかった。間に合ってよかった。

バナウェの棚田は大規模で、まるで等高線みたいに山肌に刻みこまれている。それはそれで圧巻なのだが、あまりにも観光地化されているので興醒めする。町からもう少し足を伸ばせば、よそいきではない、素朴な棚田の村にたどりつける。そこに広がっているのは、かつて日本中どこにでもあったであろう原風景である。

ボントックからジプニーで半時間ほど行くとマレコンという村に着く。南国特有の強い陽射しと田を渡る涼しい風を浴びながら、稲穂の中の畦道を行く。この村にはいったい何枚田んぼがあるのか。山のてっぺんに大きな集落があり、その直下から裾野までずっと段々は続いている。田の真ん中を大きな水路が走り、裸の子供が我先にと次々に飛びこむ。カメラを向けると満面の笑みを浮かべて、ひときわ派手なポーズを決めてくれた。


マレコンのおばあちゃんと孫

ジプニーを待っていると乗り場のすぐ近くに住んでいる人が家に招待してくれた。ちょうどお昼どきで一家そろってご飯を食べているところだった。おばあちゃんが二人、赤米のおにぎりを食べている。一人は伝統的な髪飾りをつけている。そのおばあちゃんの両腕には手首までびっしり幾何学模様の刺青が彫られていた。フィリピンでは珍しく、カメラを見るなり彼女は露骨に嫌な顔をした。それでも、家族に孫と一緒にと諭され、うれしそうな表情でファインダーにおさまってくれた。一家には生まれたばかりの丸々とした男の赤ちゃんがいた。シャッターを切りながら、ペルーの先住民のことを思い出していた。

プカルパからアマゾンの支流ウクヤリ川を3日、船で流されていくと陸の孤島イキトスに着いた。ここまでの陸路はない。アマゾンの密林のど真ん中にイキトスはあるのだ。そこはアンデスとはかけ離れていてとてもペルーとは思えない。ジャングルの奥地に突如現われた別の国のようだ。小船で街を離れ、森に住む先住民ボーラ族とヤグアス族を訪ねた。ボーラ族はガイドが観光客を連れてくるといきなり服を脱いで踊り出すし、観光コースに入れられていないヤグアス族もこぞって木の葉の民族衣装に着替えて出てきた。裸族であることが彼らの仕事なのだ。突然服を脱がされて驚いた子供が泣き出すと、「お金がなくて食べ物を買えないから、お腹がすいて泣いているのよ。だから、なにか買ってちょうだい」と目のどろんと濁ったヤグアスのおばさんが言った。うんざりした。資本主義社会に"発見"さえされなければ、彼らは原始共産制のまま幸せに暮らしていただろうに。

誇り高いマレコンのおばあちゃんに出会ったほんの数日後、今度は悲しい思いをした。バナウェの棚田を一望できるポイントで三人の老人を見た。民族衣装を着て、道端にぺたりと座りこんでいる。あまりに高齢で自分で歩くこともままならない。「Take photo」とおそらく唯一知っている英語のフレーズを観光客に話しかけている。そうやって写真を撮らせて小金をせびる。わずかな金のために民族の誇りを売り渡す老人。身につけているイフガオ族の衣装は美しいが、どうにも痛々しくてカメラを向ける気にはなれなかった。

バナウェからジプニーで1時間半、そこから車の入れない細い山道をてくてく45分歩くとようやくバタッド村に着く。マニラからバナウェまではバスで9時間かかるうえ、さらにまだそれだけ進むということは、電気も水道もガスも電話もない奥地ということだ。おまけに帰りに土砂崩れが起こり、迎えの車が通れず1時間歩き、さらに道をふさいでいる岩を泥にまみれながらどかした。本当におもしろいところには、それ相当の時間と労力を費やさないと絶対にたどり着くことはできない。その代わりにすごいものを見てきた。


バタッド村の棚田

2000年かけて受け継がれてきた棚田は、天国への階段にしか見えなかった。山間から湧き出した雲が広がり途切れながらも、急斜面にこきざみに刻まれた田を薄く覆う。ひときわ雲が低く、空が近く感じられる。ところどころ雲がたなびく棚田は、やはり天への道程だ。やがてひととき空が焼け、日が沈む。田の合間にぽつぽつと高床式の家が建つ村を闇が包み、無数のホタルが乱舞を始める。今も昔も変わることのない日々の営みをいとおしいと思った。天に昇る棚田は先祖から子孫への命の継承そのものである。

 

 

第4回:韓国人のハワイ