■グレートプレーンズのそよ風 〜アメリカ中西部今昔物語


Grace Joy
(グレース・ジョイ)




中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。



第1回:ウイルカーおじさん その1
第2回:ウイルカーおじさん その2
第3回:ウイルカーおじさん その3
第4回:私のポニィー その1
第5回:私のポニィー その2
第6回:私のポニィー その3
第7回:フリッツ その1
第8回:フリッツ その2
第9回:フリッツ その3
第10回:カントリースクール その1
第11回:カントリースクール その2
第12回:カントリースクール その3
第13
回:カントリースクール その4
第14回:春の訪れ
第15回:ジプシーの幌馬車
第16回:夏休み その1
第17回:夏休み その2
第18回:夏休み その3
第19回:ニワトリ泥棒
第20回:家系の話 その1
第21回:家系の話 その2
第22回:家系の話 その3

第23回:アウトハウスの思い出



■更新予定日:毎週木曜日

第24回:収穫の秋

更新日2006/08/10

夏が終わりに近づく頃から、お百姓さんは早くも冬支度を始めます。作物を収穫できない長い長い冬のために保存食を仕込み、確保しておかなければなりません。それも人間のためばかりではなく、牛、馬、豚や鶏の餌も蓄えておきます。

小麦は夏の初めに刈り取られ、脱穀を済ませ、粉に挽いてもらっていますし、牧草も四角く束ねられ、牧舎の2階にぎっしりと積み重ねられていますが、トウモロコシの収穫は秋の仕事です。

私たちが食べるスイートコーンはまだ枝葉が青々としているうちにモギます。なんといってもモギたてのスイートコーンを塩茹でしただけのものが最高においしいのです。豚や鶏の飼料になるトウモロコシは秋も深まる9月の終わりから10月初めまで、葉がベージュ色になり乾燥するまで待ちます。

それから、お祖父さんとウイルカーおじさん、お父さんが皮の手袋の人差し指と親指のあいだに半月型をした刃物がついている手袋、トウモロコシの皮むき専用のなんとも原始的な手袋をはき、トウモロコシをもぎ取ると同時にそのスペシャル手袋で皮をむき、ポンポンと馬車に投げ入れていきます。

今お父さんに尋ねたところ、一日で馬車2台分収穫でき、およそ一週間で全体の収穫を終えたといいますから、純粋な手仕事としては大変なスピードです。

毎年繰り返されるので、一体私が何歳のときのことなのかはっきりしませんが、動物の死に敏感になる年頃ですから5、6歳にはなっていたでしょう。秋も深まり、冷たい風が吹くようになってから、豚を何頭か殺し、肉にします。その日は、一家総出のちょっとしたお祭り気分が漂います。

大鍋にお湯をたっぷり沸かしたり、肉を塩漬けするための広口瓶を熱湯で煮立てて消毒したり、スモークハウスを掃除し、あらかじめ火を入れ煙の出具合を調節したりで大人たちは大忙しです。冷蔵庫がない時代のことなので、長い冬の間の保存肉を大量に仕込んでおくのです。またその日は新鮮な豚肉が食べ放題の日です。


セルと呼び保存食をしまっておくところがあります。
たいてい地下にあり、このような丈夫なドアがついています。
これは私が育ったお祖父さんの家のものではありません。
今住んでいる古い農家のセルのドアです。


セルの内側です。この家前の持ち主もお祖父さん、おばあさん
と同じように大量に保存食を仕込んでいたのでしょう。
古い空きビンがピックアップトラック2台分もありました。

毎年聞いているはずなのに、その年は豚の鳴き声が異様に耳に響きました。豚に予知能力があるのでしょうか、お祖父さんがいよいよ明日は豚を殺し、肉にすることにしようと決めると、そんなお祖父さんの決心を知ったかのように、前の晩から豚はギィーギィーと異常に騒ぎ始めるのです。

どうして豚に自分が殺されることが前夜から分かるのでしょうか。聞き慣れたはずのそんな豚の鳴き声が離れた豚小屋から聞こえてきて、私の張り詰めた神経に共鳴し、その夜は寝ることができませんでした。

そして、当日、いよいよ堵殺のとき、実際の現場を見たことはありませんが、お祖父さんとウイルカーおじさんが首の頚動脈を切って血を抜き、殺す段になると喉が潰れるような豚の断末魔の絶叫が聞こえてきます。そのとき、私は突然、自分でコントロールできない、体の真ん中を通っている全神経をつかまれ揺さぶられたような感情に襲われ、手がつけられない激しさで泣き出してしまったのです。泣くというより、ヒステリックに泣き叫び、しかも延々と泣き止まず、ただ泣き続けたのです。

それまで、色々な動物の死を見てきたし、豚に同情したわけでもないと思うのですが、そのとき突然襲った感情の嵐はどこから来たのでしょう。お母さんやヴェルマーおばあさんがしきりに慰めてくれたのを覚えていますが、ポーチに出した大きなテーブルで、一仕事終えた後の新鮮な豚肉のバーベキューの会食が始まり、皆揃って席についても、涙を止めることができず、テーブルの上の食べ物が霞んで見えなくなり、そのとき結局何も食べることができませんでした。

幼児期の体験から、今の自分を形作った要因を探すのが一昔前に流行しましたが、私の場合、それから肉を食べなくなったわけではありません。私が菜食主義者になったのは大学の2年のときですから、このときの幼児体験が影響しているとは思えません。おまけに、しばらくして泣き止むと、猛烈にお腹がすき、すでに片付けられ誰もいなくなったテーブルに一人ポツネンと座り、おばあさんが残しておいてくれたポークチョップのバーベキューをむさぼるように食べたのです。豚の精霊の力より食欲がまさっていたのでしょうか。

あの日に、豚の鳴き声が耳を打ち、私が激しく泣いたことをいまだに鮮明に思い出すことがあります。


古い空きビンのいくつかを懐かしさのあまり
捨てずにとっておきました。

-…つづく

 

第25回:生活の変化


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