■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

更新日2003/01/09

年始の挨拶をと、姉に電話したところ、初詣から帰ったばかりの姪っ子が電話口で大はしゃぎ。「あけましてお…ピーーー」。…ファックス受信ボタンが大好きな1歳11ヶ月。言葉が増えて、最近は笑いのツボまで心得る。「たまきちゃん、おねんねしてるとかわいいねー、ママもおねんねしたらかわいくなるかなー」という姉の問いかけに、以前は「なるぅ」とかわいく答えてくれていたのに、近頃では「ふふふ…」と不敵な笑みを浮かべるのだそうだ。ママと一緒に行った初詣、からーんころーんとやるあの鈴が気に入ったようで、「ガラガラしてきた?」と聞くと、うれしそうに「うん、ガラガラ~ぺってした」。"ぺっ"はいらないよ、"ぺっ"は! 末が楽しみである。(北村


電車の同じ車両に一人の女性を見かけた。どこかで何度も会っているような気がするのだけれど、多分個人的に話したことはなくて、けど誰だか思い出せない。その前に彼女の名前すら知らないような気がする。しばらく考えてふと思い出したのは、会社の近くの郵便局に勤めている人の顔だった。次の日の朝、偶然その女性が会社に郵便物の集荷に来ていて、思わず「昨日同じ電車に乗っていたんですよ」と話しかけそうになった。よく見かける顔だと、話したことがなくても旧知の仲のような錯覚にとらわれる。子役の頃から知っている有名人がテレビに出ていると、「○○ちゃんも大きくなったわねぇ」とまるで親戚のおばさんのようなリアクションをしたりすることがあるように、日常的なことかもしれないが、いざ自分の身に起きると意外と新鮮なものだ。「どこかでお会いしましたっけ?」と話しかけていたら、ものすごくしらけた雰囲気になっていたかも…。今どきナンパやキャッチセールスでもこういう言葉は使わないかな。(志岐


正月休み、10年ぶりくらいで『鬼平犯科帳』(池波正太郎著)を読み返した。最初に読んだのは二十代で、これこそ日本的ハードボイルドだと夢中になり、主人公長谷川平蔵のダンディズムに酔った。作中、無頼・放蕩三昧の青春を送った本所を二十数年ぶりに訪れ、時間の経過に嘆息とともに感慨にひたる鬼平が描かれる。二十代の自分はその感慨を理解しなかったが、今回は十分すぎるほど、主人公の思いを理解した。書き手の年齢と読み手の年齢がかけ離れていると、作家がいわんとしていることとか作品のコクに気づかないことがある。中学生・高校生が読書感想文のために漱石を読んだりするが、つきあいはそこで終わり、以後、漱石作品を手に取らないというのはもったいない。40代の漱石が書いたものは10代ではなかなか理解できないはずだ。というわけで、新刊本に手を出さず、もっぱら古い本の読み返しに専念している。ずっと読まずに敬遠していた森鴎外も、四十半ばにして少し理解できる作品があった。新刊本を買う金がないというのも悪くないです。(