■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2007/02/15


携帯電話の販売台数がついに1億台を超えたらしい。携帯の無線電話のはずが、今ではネット端末(PDA)としての携帯電話の方が正しいかもしれない。まさかメールが携帯電話がここまで普及するとはだれも想像していなかっただろう。今でも私自身はめったに携帯でメール入力はしないのだが、猫も杓子も子供から老人までが、小さな携帯のキーをポチポチ押しながらメールを入力する姿が日常化するとは考えてもいなかった。もっと自由度の高いノートパソコンや専用のメール端末(そういえばVisorやPalmなんかが注目された時期が一瞬あったが、今や完全に淘汰されたようだ)が主流になると思っていたが、携帯がすべてを呑み込んでしまい、携帯ですべてが可能になるという日本だけの未来相関図が生まれてしまったようだ。よほど日本人にこの小さい携帯がぴったりとフィットしてしまったからなのだろう。この携帯電話の恐ろしいほどの人気がいろんな歪みを作り出している。もし携帯がこれほど普及していなかったら、もっと早く日本のIT文化が進展していたはずである。携帯でもメールが送受信できることにより、パソコンを使わなくなったり、パソコンを必要としない人が増えたという事実がある。携帯でメールもホームページも閲覧できるのだから、なにもこんなに重くて大きなパソコンなど狭い家に置く必要がないという、日本流の合理主義がパソコンの普及にブレーキをかけたのだ。特に日本の地方でのIT普及率が低いのは、この携帯の普及率と反比例しているように思える。そして、忘れていけないのは、ITの目玉はなんと言っても常時接続による超高速通信ということだ。携帯でホームページを閲覧すればかなり高額な通信費になるという現実に直面し、パケット通信なるものが主流のメール端末が中心となってしまった。ここで本来のメール機能から携帯メールの独自のルールが生まれた。メールのメリットは、相手の時間を拘束しないことにあり、互いに都合のよい時間に送受信が可能なところだったのだが、携帯の場合はリアルタイム受信のため、送信する側もリアルタイムで受信していることが分かっているから、レスポンス時間の速さを期待する傾向がでてきてしまうのである。私はパソコンのユーザーなので、メールの返信がリアルタイムのように瞬時に戻ってきたりすると、まるでチャットメールをしているようで驚いてしまうのだが、最近の傾向として、携帯メールを受信した場合、できるだけ早く返信するのがマナーになっているようなのだ。特にこの傾向が顕著なのが中高生のようだ。中2の息子にどうしてもとせがまれ今年の正月に結局携帯を購入することになったのだが、その理由がパソコンのメールではレスポンスが遅すぎて仲間とコミュニケーションが取れないというものだった。それまではパソコンでメールのやりとりをしていたのだが、四六時中パソコンでメールチェックをしているわけにもいかないと言うのだ。それなら電話で直接話したり、会って話せばいいだろうと思うのだが、携帯でメールを瞬時にやり取りしあうのが流行っているようなのだ。メールという便利なツールであるが、使い方がこうなるとまるで不幸になる伝言ゲームのように思えてくる。携帯が鳴るとすぐに反応するから、すべてが途中で中断することになる。テレビを見ていても、本を読んでいても、食事をしていてもである。パブロフの法則ではないが、現代日本人はベルが鳴るとメールを確認したくなるという条件反射が備わってしまったかもしれない。ある大学の社会学者が話していたが、携帯の普及により、日本の文化構造が変わりつつあるという。たとえば、音楽は着信メロディーに入れたくなるような音楽パターンしかヒットしなくなっていたり、テレビのドラマなどは、ストーリーをじっくり追っていくものは視聴率がとれず、なんでもごった煮的なストーリーなどのあまり必要のない一話完結タイプのものが主流になっているという。これはテレビを観ながらメールを打ったりするナガラ族が多いため、ストーリーを複雑にするとついて来れないからだという。このように携帯の普及により明らかに文化構造に変化が起こり、今までの価値観が変わってきているという。昔の価値観で良し悪しを決めることはできないが、少なくとも日本のIT文化の典型がこの携帯のメールブームだとすると、あまりに日本的で悲しいものがある。(K

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO