■よりみち~編集後記

 


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更新日2008/03/27


ついにチベットが本気で動き出したようだ。1949年の中国のチベット侵攻以来、50年以上もの間、民族としてのアイデンティティを完全に否定され続け、耐え忍んできたチベットの民が世界中に自由を求めてアピールを開始したのだ。世界が注目する「北京五輪」の開催に焦点を合わせ、この最初で最後のチャンスを活かせるかどうか、はっきり言って野次馬としては、北京五輪以上にこのアピール活動の方がずっと興味がある。

私が最初にチベットの人々に出会ったのは、今から二十数年前のネパール旅行だった。チベット動乱などで国を追われた人々が住むチベット人難民キャンプ(1959年ダライ・ラマ14世と一緒に亡命したチベット人は8万人だが、現在は13万人まで増えている)がポカラというヒマラヤトレッキングのベースとなる町の郊外にあり、そこでどう見ても日本人と同じ顔の人々に出くわした。お互いに顔を見合わせ思わず微笑んでしまうほど、日本人とチベット人が似ていることにまず驚かされた。たまたま、観光客に和服を着ている日本のおばあちゃんがいて、チベットの民族衣装を着たおばあちゃんとお互いの服装を見せ合いながら話に花を咲かせていたのだが、服の形は違っていてもハートは同じで、日本とチベットの血がつながっているのではないかと思えた。彼らは難民キャンプという押し込められた貧しい世界に住んでいながら決して悲壮感などはなく、誇り高くたくましく生活していたことが印象に残っている。

その後、ヒマラヤの奥地に20日間のトレッキングに出かけたのだが、奥地に行けば行くほど住民がチベット系の顔になっていき、チベット仏教から派生したボン教を信仰していて、当然のごとく、神棚(というのか祭壇というのか)にはダライ・ラマ14世の肖像が飾られているわけで、ネパールとは言っても、ヒマラヤの奥地はほとんどチベットの世界であることを実感した。

ムクチナートというヒンドゥー教の聖地を目指すトレッキングだったが、ムクチナートの一つ手前にカクベニという村があり、そこから当時は旅行禁止地域だった「ムスタン王国」への道が分かれていて、そのムスタンから歩いてくる人がドテラ風の着物を着たチベット人ばかりで、一晩本気で密航しようかと真剣に考えたほどだった。外国人をチェックスする小屋が一軒ぽつんとあるだけで、もちろん地元のチベット系の人々は自由に通過しているのを見て、自分もチベット人の服装をすれば全く問題なく通過できることを確信したからだった。さすがに捕まった時のことを考えてやめてしまったが、後に日本でムスタン王国のTV取材番組を観て、あの時、ちょっと冒険しておけばよかったなと思えるほど、のんびりとした平和そのものの王国がそこにあった。それはまるでかつてのチベットが存在していた時代の人々の生活を彷彿させる暮らしだった。

北インドのヒマラヤに近いダラムサラというチベット亡命政府のある町にも行ってチベットの人々と話をしたのだが、自分が生まれた国に帰れない戻れない理不尽でナンセンスな境遇にありながらも、しっかりとチベット人としてのアイデンティティを失わず、悲壮感など感じさせない誇り高い彼らと接すると、中国という国の裏側の暗部を見せられる思いがしたものだった。

かつて宗教を否定し無神論を強制した中国だったから、このような民族の否定という悲劇が生まれてしまったわけだが、それでは今現在の中国がかつてのチベット動乱を強行できるのかと言えば、絶対と言ってよいほどありえないわけで、元のチベットに国を戻すことはできないまでも、本当の意味での自治権を与えるくらいの配慮や譲歩がなぜできないのだろうかと首を傾げざるを得ない。チベットをこのままにしておくと、アジアのパレスチナ問題に発展することは間違いないわけで、中国政府高官たちが世界の空気を読めるのであれば、チベットに自由を与え、自治権を戻すことは中国の発展をさらに推し進めることになることはすでに理解していると思えるのだが……。「チベットに自由を!」(

 

 


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