■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2007/04/19


アメリカの2丁拳銃野郎の凶行とか長崎のヤクザの発砲と拳銃事件が重なったが、キチガイに刃物じゃなくて銃を持たせちゃイカンです。アメリカでは自分の身は自分で守る権利があるから開拓時代から拳銃の所持は認めるということだが、キチガイが発砲する権利も認めていることになりはしないのだろうか。武器は所持していると使いたくなるものだ。それがすばらしい性能であればなおさらだ。どれほどの威力があるのか試したくなるのは人の常である。かなり以前のことになるが、会社に拳銃がとても好きな上司がいて、この人は日本では拳銃が所持できないので、マイガンをラスベガスのアパートに所持しているほどの愛好家であったのだが、その人のセッティングでラスベガスの砂漠で拳銃をぶっ放すツアーに連れて行かれた。以前一度スペインで拳銃を撃たせてもらった(もちろんライセンスを持っているスペイン人のお爺さんの好意で日曜日に広い鉄工場の中で2、3発撃たせてもらった)ことはあったが、ラスベガスでは機関銃の果てまで、予算と好みの応じてなんでも撃つことができた。まずはベガス市内の銃砲店のシューティングレンジで、拳銃の扱い方や撃ち方をプロのインストラクターにみっちり教わった。拳銃はおもちゃではなく殺傷能力がある危険な武器であることをまず教えられ、銃口を絶対に人に対して向けてはいけないという基本中の基本を叩き込まれる。ここらあたりから、拳銃の扱い方が真剣になってくる。いろんなタイプの拳銃を試してみると、自分の好みがあることが分かってくる。引き金がやたら軽いタイプがあるかと思えば、かなり重いのもあったりして、それぞれ銃の個性があることがわかってくる。連続して撃ってみると、だんだん自分が興奮していることに自分で気づき、そのことに驚いた。シューティングの興奮状態は、自分でも知らなかったとても原初的なものを感じた。シューティングレンジの10数メートルの距離では物足りなくなってきた。ここからが実にアメリカ的なシステムなのだが、ベガス自体が砂漠地帯に造られた人工的な町だから、市内から30分も走ればどこを見回しても砂漠しかなくなる。そこではどんな銃を発砲してもおかまいなしなのである。最初は、ピストルから始まりライフル、マシンガン、象でも倒せるという径行のでかい狙撃砲まで試すことになった。砂漠に太陽が沈んでからは、夜間用のライフルという銃器のフルコースを体験したのだが、自分の知らなかった自分に出会った気分で、かなりの興奮状態が続いた。よく戦争映画のシーンで新米の兵士が初めての最前線に送り込まれ、興奮状態のまま見境なしに銃を乱射してしまうシーンがあったのだが、その気持ちが分かった。自分で制御できずに、引き金は自然に引いてしまうという超暴力的な行為を銃器は強いることがあるはずだ。砂漠ぶっ放しツアーの帰途、真っ暗な砂漠の道を走りながら、自由の国アメリカのすばらしさと、その反面の自由の怖さを感じて、やはり銃規制がある程度必要なことを実感した。銃は持った時点で撃ちたくなるのが当然で、特に生活の場からはできるだけ離しておかななければならない道具だと思える。もちろん、狩猟民族がいるように銃をスポーツとして楽しむことに反対しないし、本当に銃を愛している人は純粋に的を射ることだけに集中しているわけで武器などとは考えていないだろう。ただ、IDカードがあれば通信販売でもスーパーマーケットでも銃が買えるというアメリカの常識はどうかしている。銃は少なくともキッチンで使う包丁とは違うのだから、一応まともな神経と常識があり、何人かが保証人になるくらいのライセンスは必要なシステムにすべきだと思うのだが、また全米ライフル協会が「それも自由だ!」と叫んでうやむやになるのだろう。アメリカは結局、西部の開拓時代と何も基本的には変わっていないということなのだろうか。自国の個人的な銃の規制もできない国が北朝鮮やイランに核兵器は危険だから持つなと言っても、あまり説得力がないと思うのだが、どうもアメリカの政治家は自国民だけは特別な存在だと思っているようだ。(

 

 

 


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