■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2005/04/21


反日デモで思い出したが、「南京大虐殺」の犠牲者の数値の問題ってどうなったのだろうか。中国側の推計が30万人以上だったと思うが、日本の場合、立場によってすごい開きがあって、数千人という学者から数万人とばらつき、さらに極端な例では、南京大虐殺など中国のでっち上げだとする学者まで多種多様。確かに戦時中とはいえ、数値がこれほどまでに異なる事件はまれだろう。ただ言えることは、犠牲者の数値に見解の相違や誇張はあっても、あの年に南京で無差別殺戮を日本軍が行ったことは紛れもない史実であり、日本人がその当時、中国人や朝鮮人を虫けらのように扱っていたことは間違いない。当時の日本軍が、ナチスやポルポトのように恐れられていたことを忘れてはいけないだろう。日本人の感覚として、ナチスやポルポトなどとは違うと思いたいし、そこまでひどくはなかったはずと弁護したくなるのだが、反対の立場で日本の蛮行を冷静に眺めてみると、誇大妄想の神がかり集団、いわば盲目的に麻原を神格化した「オウム真理教」の集団ような不気味さと何をやるか分からない恐怖感を日本に対して持っていたのだと思える。戦後60年が経過しても、日本の国連常任国入りを中国が反対を表明して、2,200万人の署名を集められるというのが現実であり、まだまだ日本に対する恐怖心は消えないのだろう。それにしても、国内事情が悪化傾向にある時必ずといってよいほど話題に上ってくるのがこの「南京大虐殺事件」などの歴史的認識の相違や靖国問題など、日本がのらりくらりと見解の相違と言ってまともに対応しない問題が取りあげられる。日本の反応が中国人民の感情を刺激して過激な反応になることをある程度見越した政治手法と考えられないこともない。反対にそれだけ中国国内の市民の反発が中国政府に向けられてきているということなのだろうか。5年ほど前、初めて中国の上海を訪れたが、その人民パワーに圧倒された。そして、上海の中心部の近代的な繁華街やビジネス街とは対照的に古い庶民の長屋街がいたるところに残されている。その光景は、まるで日本の昭和初期と平成の現代が混在するような異様な風景だった。貧富の差をなくすために起こった共産主義革命だったはずなのだが、いつの間にか本音と建前の似非資本主義の世界になってしまっているようで、傍目にはどこが資本主義と違っているのかさっぱり理解できない。ベトナムのハノイを訪れたときにも同じ印象で、結局のところ、共産主義や社会主義は、資本主義の経済システムに呑み込まれてしまったのだろう。最近の中国の経済発展は急激すぎるような気がする。すべてを開放路線にしているため、なんでもありの状況のわけで、そこに海外資本が国内投資に見切りをつけて、夢を中国に向けて巨大な資本を投下してきていて、一攫千金の下克上の世界が展開されている。バブルがどんどん大きく膨らむ一方で、庶民の生活感覚に変化が起こり、そこにネットが解禁され、海外旅行が解禁され、株式投資が認可され、持てる者と持たざる者との格差がどんどんと拡大しているわけで、このバブルに誰が針を刺して爆発させるのかという状況になるまでにはそれほど時間がかからないだろう。すでに中国政府はネット検閲の手法を駆使して、体制への批判を巧妙にブロックしているようで、国内の不満が高まるよりは反日へターゲットがずれる方を歓迎しているのかもしれない…。それにしても人口の多い国はすごい。ちょっとネットで呼びかけるだけで、10万人ぐらいすぐ集まってしまうわけだから、ちょっと怖い感じがする。これからは中国政府の政策に目が離せなくなりそうだ。(

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO
03/24/2005更新済み