■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2005/05/05


本が読まれなくなっている。書籍というよりも印刷物そのものが読まれなくなっている。自分自身でもじっくりと本を読む時間が少なくなっているのだから、この流れはしょうがないだろうと思う。特に純文学(はたして今存在する言葉かな?)とか呼ばれるジャンルなど、読みたい本が思いつかない。一応、出版の世界に長らく身を置いていた関係で、実感として出版業の衰退がよく分かる。その始まりは諸説あるだろうが、実感としてはITの普及と反比例していると思う。もっとはっきり言えばインターネットだ。ネットの普及によりさまざまな変化が起こり、さまざまな業態に異変や衰退が起こった。ネットがキラーコンテンツと呼ばれる由縁がそこにある。まず発生したのはアナログからデジタルへの変化が大きい。なんでもがデジタル化され、データ化されてしまった。印刷業界がその動きに合わせて大きく変化した。活版印刷は死語と化し、写植さえも淘汰されてしまった。大型印刷機が小型の高性能印刷機に替わり、大型カラーコピー機が簡易カラープリンターに取って代わってしまった。その昔(といってもほんの5年ほど前かな)カラーコピーがA4サイズ1枚500円もしていた。今なら笑われてしまう金額だ。印刷に革命(?)が起こったというか、技術が必要でなくなってしまったのだ。写真の世界と同様で、誰でもがシャッターを押せば、それなりの写真が撮れるようになったので、そこらじゅうに自称カメラマンが増えてくる。同じように、デザインの世界もデジタル化が進み、アプリケーションが充実してくるにつれて、誰でもが簡単にそれらしいデザインができ、自宅で簡単にフルカラーのプリントができてしまうので、自称デザイナーの卵がどんどん生まれるのだ。このことはデザイナーだけではなく芸術の世界全般で共通して見られる現象になってしまった。いくらでも素人がアーティストになれる時代になってしまったのだ。それほどデジタル化による恩恵(?)により、コピーが簡単でそれっぽく見せることができるツールが普及したわけで、本物と偽者(?)の区別が難しくなった。このデジタル化の最大の功績(?)が偽札だろう。真似をすることにかけては完璧に近づいているようだ。16世紀のイギリスの格言に『悪貨は良貨を駆逐する』という言葉がある。混ぜ物をした金貨が出回れば本物の金貨は姿を消すというグレシャムの法則だが、本物と偽者の区別が難しくなったという状況はこれに似ていないだろうか。本物の価値を自信を持って主張できないという時代の不幸を感じる。別に本物でなくても偽者で充分条件を満たせられればそれでいいというインスタントな時代感覚にそろそろ辟易してきてもよい頃かもしれない。出版業界がかつてのような勢いを取り戻すとは到底考えられないが、やはり本物が評価される時代が戻ってくると思いたい。さらなるIT化の進展により、書籍の在り方がここ数年で大きく変化し、業態もさらに変わっていくはずだが、本物を伝えていくための出版という形態は変わって欲しくないものである。(K

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO
03/24/2005更新済み