■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2006/05/18


久しぶりに冷や汗をかきながら映画を観た。なにも映画でスリルとサスペンスを楽しんだからではなく、若年性アルツハイマーという難病と闘う映画の主人公と最近やたらと忘れっぽい自分の自覚症状があまりに酷似していたからだった。堤幸彦監督作品『明日の記憶』出演:渡辺謙、樋口可南子ほか。予告編を見たときにはそれほど興味は湧かなかったのだが、渡辺謙が企画段階から関わり、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加していることになっているが、ほとんど彼の熱意で映画が作られていることを知って、やはり観るしかないと思った。アルツハイマー(認知症)がこれだけ増え社会問題となっているにもかかわらず、自分たちの身近な問題として今ひとつ盛り上がらないのは、人間の本質的で根幹的な記憶や思考に直結しているから、できれば逃げたり避けたりしたいという本能的な反応があるように思える。映画では49歳の広告代理店の部長が、ある日突然、記憶がこぼれ落ちるように消えていく。若年性アルツハイマーの恐怖である。心配した妻に無理やり病院に連れて行かれ、簡単な記憶のテストが行われる・・・。そうなのだ、このテストに私自身どきっとするほど記憶があいまいだったのだ。ひょっとして私も・・・。でもアルツハイマーとボケとはちょっと違うようだ。直近のことが記憶が飛んでいるのだ。思い出そうとして思い出せない、忘れてしまうというのがボケだが、アルツハイマーはその思い出せないのではなく、すでに忘れ去っている状態なのである。忘れたことに気づかないのだ。これはボケでなく脳の病気である。渡辺謙の演技はさすがに光るものがあったが、それよりもやはりこの病気の大変な犠牲者となるのがその伴侶の方だ。樋口可南子の抑えの効いたナチュラルな演技に救われた感じがした。また、ボケ老人の陶芸家、大滝秀治もさすが名優の演技である。映画にも出てくるシーンだが、ある日妻の名前も存在すら記憶がなくなってしまい、妻を他人の眼で見るのだが、それでもなお愛し続けることが本当にできるものなのか、果たして自分にはできるのか考えさせられた。▼実は、私の父方の祖母も私がまだ大学生の頃に老人性アルツハイマーを発症し、ピーク時には昼夜区別なく徘徊するという最も手の掛かる症状で家族を苦しめることになった。親戚をたらいまわしにされ、四男の父の我が家に落ち着いたのだが、昼夜の区別なしの徘徊を繰り返し目を離すと外に出てしまう(80歳を過ぎていたが、腰も曲がらずスタスタ歩くのが速かった)。看病する母親が不眠のためSOSが出され、夏休み中に私も実家に呼び戻され祖母の見張り番を担当した。自分の息子である父のことはもちろん、誰一人認識できておらず、ほとんど2、3歳の赤ちゃんのような状態で、食べること、排泄すること、歩くこと、そして歌うこと(しばしば童謡や民謡を口ずさんでいた)が日課のすべてだった。ひと時も眼が離せない状態のため、介護老人ホームや病院でも入院を拒否され、なんとか頼み込んで入院させてもらっても、翌日には病院から徘徊して他の病人に迷惑をかけるとか、夜中に病院を抜け出して線路近くを歩いていたなどで、何度も引き取りに行くことになった。唯一の救いは、我々世話をする者は大変だったが、祖母は能天気に歌を歌い何の心配も不安もないように見えることだった。赤ん坊のように天真爛漫に過ごす姿は哀れではあったが悲惨とは思えなかった。身近にアルツハイマーを発症した人を抱えた経験がある家族には、程度の差はあるだろうが、記憶を失うことの恐怖やその不条理な結末を記憶から消してしまいたいという共通の暗黙の思いがあるように思えてならない。(

 

 

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