■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日


更新日2004/06/03


世界中の誰もが間違いなく感動することがある。言葉も宗教も性別も年齢も関係なく、ただ、美しいと感じるものだ。さらに、人間には永遠に作り出すことができないもの。まるでなぞなぞになってしまったが、それは「朝日」と「夕日」だ。ネットで検索してみると分かるが、世界中にSUNRISEマニアやSUNSETマニアであふれている。私も思い返してみるとマニアまではいかないがSUNSET愛好家の仲間に入れてもらえるかもしれない。旅の目的のひとつに美しい「夕日」を拝むことを楽しみにしていた時期があった。「朝日」も当然好きなのだが、意志の弱い私には、朝早くそれも太陽が昇る前の暗闇から起き出して、所定の位置に着いて朝日を待つということはめったにできないことだから、「夕日」専門ということになる。ただ、気持ちがよいという意味では「朝日」の方が断然上位にある。ネパールのトレッキングで体験した3800Mのムクチナートという山頂の聖地で体験した朝日は魂に染み込むような美しさだった。真っ暗な空がほんのりピンクに染まり、山肌がピンクからゴールドに変化して、真っ赤な朝日が顔を出し、刻々と空の色が変化する様は見飽きることがない。誰もがじっと無心に見守っているというのも共通している。朝日でも夕日でもやはり美しく感じるのは大気が澄み渡った手付かずの自然が残されている場所が多い。どうしても見晴らしのよい山や海にビューポイントが多くなる。たぶん人それぞれ今でも忘れられない夕日の思い出が何箇所かあると思うのだが、私の場合、インドの夕日がそれだ。砂漠地帯が多いラジャスタン州の夕日がすごかった。特にマウント・アブーというジャイナ教の聖地のある1200Mの山頂からタール砂漠にまるで夕刊フジのロゴのように赤く燃える太陽が沈む夕日はすごかった。そこは観光地なのでインドの新婚さんなどのカップルの姿が多かったのだが、誰も太陽が沈み終わるまで固まってしまったように立ち去ろうとせず、結局私も最後まで見届けたのだが、沈みきったということは真っ暗闇になったということで、街灯などないでこぼこ道を手探り状態でホテルに戻った思い出がある。夕日の見物には懐中電灯をお忘れなく。(