■よりみち~編集後記

 


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更新日2008/06/19


「江戸」がずいぶん前からブームになっている。江戸東京博物館には毎年200万人以上が来場すると言うし、落語もすごい人気だ。以前から落語は好きで学生時代から時々寄席に行っていたが、最近は土日となると立見状態で、それも若い女性など、年寄りの娯楽ではなくなっていてちょっと驚いていたのだが、どうもそれは「江戸」という時代へのあこがれであることが、ラジオ番組のPodcastを聞いていて分かってきた。江戸東京博物館館長の竹内誠氏のインタビュー番組なのだが、「江戸」についてとても興味深い話をたくさんしてくれた。
1600年の江戸幕府の成立から250年という徳川長期政権が続くわけだが、平和で安定した日本が、まさに「江戸」を核とした中央集権的地方分権が行われていた。この「江戸」がなければこれだけの長期間安定した政治は成立しなかったはずだ。そのキーワードがいくつかあるのだが、当時の幕府の官僚制がとても優れていたことが指摘されている。奉行など幕僚は必ず複数制をとっていて、権力の集中を予防しており、それも交代制だった。さらに監査制がしっかりしていて、常に幕僚の業務がチェックされていたのだという。当然、「水戸黄門」に出てくる悪代官などもいたことは事実だが、かなりチェックがきびしく官僚の腐敗は起こりづらいシステムになっていたようだ。また、安定した政権が続いた理由に、秀吉の時代にも行われた「刀狩り令」が徹底されたことだった。これは現代の日本の治安のよさにもつながっていることで、武器となる刀剣類の所有が厳しく制限されていたことは大きな意味があった。もう一つが「鎖国制」だった。それも単に外国との交流を一方的に遮断していたわけではなく、学術的なことに関しては柔軟に取り込み、研究も重ねていたことも確かなようだ。
当時の江戸の人口は約100万人で、世界一の大都市だったらしい。ロンドンやパリなど西欧の大都市など問題にならないほど巨大都市だったと聞いてちょっと驚いた。それも江戸と呼ばれるエリアは、現在の山手線の環状線のずっと内側部分で、当時は新宿も渋谷も江戸の外にある村だったわけだ。50万人が武家で50万人が町人の半々の構成で、江戸時代後期には町人の割合が70%になっていたらしい。江戸幕府の独特のシステムである「参勤交代」が江戸の人口拡大と経済発展の要因となった。地方の藩は参勤交代で50%近い予算を江戸に落とすことになり、江戸詰めの家臣の生活を支えるために地元の商人を雇い、その商人の生活のためにさらに江戸が栄えることになった。経済効果だけでなく地方の人間が江戸に住み着くようになるので地方の文化も流入するので江戸は異文化交流都市に成長していく。地方の文化が混ざり合い150年の歴史により江戸文化が固まってきたようだ。
その江戸で生まれた生活スタイルに「粋」の文化がある。「粋」の定義としてはさまざまあるが、「あかぬけして はりのある 色っぽさ」と表現したり、色としては「茶系」「青系」、柄は「縞柄」という風に独特の「粋」の文化がある。「粋」に対する言葉は「野暮」であり、野暮でないことは、「人様に好まれる言動」=「相手に不快感を与えない」ことであり、これは現代の東京の下町気質にもつながっている。「江戸」ブームは、現代社会の行き詰まり感から、落語の世界に表現されている「江戸」文化の粋や余裕、人間的な温かさに共鳴しているのだろう。竹内誠さんは、「モノではなく心、量ではなく質を求める時代になっている。競争社会ではなく共生社会が求められている」と話していた。

 

 

 

 


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