■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2004/08/26


「ピカソ展~幻のジャクリーヌ・コレクション」を観てきた。展覧会のことを思い出したのが土曜日の夜で、日曜日の美術館というのはある程度覚悟して出かけたのだが、想像以上の混雑ぶりで、美術館の入口でどうしようかと迷ったほどだった。入口では拡声器で誘導を始めるほどで、ほとんどデパートの食品売り場のパン屋さんの行列状態なのだ。さすがパブロ・ピカソなのである。本物の絵を観たいという思いは皆同じなのだ。ただ、アートの鑑賞とは、作品との一種の対話であり、その空間で、その作品からどんなメッセージを受け取るかということが作品の価値に繋がると思っているので、そのような余裕のある観かたはできないことは明白だった。それでもせっかく来たのだから、一回りしてみることにした。今回の作品は1952年の夏、ピカソが70歳の時、26歳のジャクリーヌ・ロックに南仏のヴァロリスで出会い、その後20年間生活を共にした、まさにピカソの晩年の作品を中心に、ジャクリーヌが受け継いだピカソの作品(1917年~1972年)の中から、油彩、素描、彫刻など130点が出品されていた。その人の多さに圧倒されながらも、次第にピカソの作品に吸い込まれるように観て回った。やはり「すごい」という言葉にしかならない。とても私などには批評などおこがましく、ただただその創作エネルギーに感服させられるだけだ。それにしても、これほどまでに作風がめまぐるしく変化したアーティストはいたのだろうか。それでいて、誰が観てもピカソ以外の誰の作品でもないという独創性が顕著にあり、アートってこんなに楽しいもんなんだと、まるで日記を書くように作品づくりの生活を謳歌していたことが見て取れる。子供の頃から神童と呼ばれ、天才の代名詞のような存在でありながら、死を迎えるまで、毎日驚くようなスピードで作品を創り続けた多作のアーティストとしてもギネスブックものだろう。様式にとらわれず、あるがままの自分を表現した結果が作品として残ったわけで、あえて言うのであれば、ピカソ流“スーパーナチュラリズム”ということなのかもしれない。アートを鑑賞することの楽しさは、それを作り上げたアーティストのエネルギーを一瞬だけでも分けてもらえるところにあるようだ。作品の中で気になった一点があった。たぶん画材の梱包に使われていた段ポールなのだろうと思えるが、即席で一筆描きのように一気に描いた「花」という作品で、妻ジャクリーヌのために、と副題があり、彼女の目の前で描いたのだと思う。そのシンプルで可憐な白い花を彼女にたとえたのだろうが、実際にそんなに細長い茎をもつ花などありえなく、これもピカソ流のデフォルメなのだ。やはり天才はなにを描いても作品になるようだ。(K

 

 

 

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO