■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

更新日2003/09/04


先日、千葉の九十九里までドライブに行った時、利根川沿いの道を走った。川沿いの風景が実家のあたりに似ているなぁと思ったら、利根川は「坂東太郎」、私の実家近くを流れる福岡県の筑後川は「筑紫次郎」と呼ばれていたことを家に帰ってから思い出した。ちなみに四国の吉野川が「四国三郎」なのだが、なぜこのような呼び方をしたのかネットで調べてみたら、大雨などで洪水を起こすさまが暴れものの男の子のようだからとか。それまで私の川のイメージはおおらかで女性的なものだったが、確かに台風の時の川の様子を考えると破壊力のある暴れん坊の男性的なイメージというのもうなずける。関係ないが、ネットの検索エンジンで言葉を検索することを「ググる」と聞いて、なんだそりゃ?と思ったら、「グーグルで検索する」を略して「ググる」らしい。
パソコン雑誌でも見かけるようになってきたので浸透してきたってことなのか。私は絶対使わないぞ、「ググる」なんて言葉は。頑固オヤジのようになってきた29歳間近の秋。(志岐


船の科学館で一般公開されている北朝鮮の工作船を見学してきた。これは海上保安協会の主催で、日本財団と海上保安庁が協力して5月末から9月末まで公開されているもので、まだなまなましい記憶として残っているあの事件の船だ。2001年12月23日に東シナ海(奄美大島沖)で銃撃戦の後、自爆して沈んだ不審船(当時は北朝鮮と分かっていても工作船と断定していなかった)である。南極観測船などと並んで船の科学館に展示してあるのはどうも異様な光景だった。政治的な問題などでかなり時間がかかり、本格的な引き上げ作業が開始されたのは9ヵ月後だった。それでなのだろうが、工作船は赤サビだらけで、まるで太平洋戦争時代の船のようにも見えてしまうほど荒れて、穴だらけで貧相だった(自爆して沈んだ船だから当然か)。大きさは思っていたよりも小さく(全長30M;幅5Mあるそうだが、もっと小さく感じる)、さらに胴体部には小型の上陸艇(全長11M、幅3M)が格納され、大型の対空機関銃やゴムボートまで装備していたわけで、ほとんど居住スペースはなく、乗組員10名(発見された遺体数より)がどこにどうやって潜んでいたのか不思議だ。慰留品などは第二会場に展示されており、自動小銃や水中スクーターなど、スパイ船の実態が明らかにされている。工作船の展示場所はまるで観光地のようだった。船尾の観音開きの扉をバックに記念撮影をする団体旅行客がいたり、ビデオ撮影にVサインでポーズなど、なにか違和感を感じた。だって、隣国の軍事訓練を受けた北朝鮮のスパイが密航していた工作船なのだ。ひょっとしたら同様の工作船で自分たちも拉致され連れ去られていた可能性もあるのだ。今回たまたま見つかっただけで、かなりの数の工作船が日本海周辺を往来してきたことは確実だ。漁船に似せた船体はよほどの専門家でないかぎり判別は不可能だ。おまけに先日の北朝鮮の美女応援団の容姿を見ても分かるように、日本人は朝鮮系と日系の区別がつかない(でも彼らは瞬時に日本人を見分けることができるのが不思議だ)わけで、どれだけの工作員が日本人になりすましているか図り知れない。なんとも大変な国が隣国にあるものだ。世界中で隣国同士が仲のよい国というのはあまり聞いたことはないが、スパイがうようよいて一般人の拉致を繰り返してきた隣国というのも聞いたことがない。平和ボケしてしまった我々日本人にとって、この工作船はなんとも時代錯誤に感じるわけだが、かつての日本の特攻隊のように誰かさんのために喜んで死を選ぶ人々がその国で養成され続けている現実は紛れもない事実だ。いつになったら本当の意味での戦後がやってくるのだろう?(