■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

更新日2003/09/11


そいつの名前は、チーポン・マー、香港人だ。十代で単身、オーストラリアはハービーベイに渡る。ホエール・ウォッチングの時期だけ賑う普段は静かなその町で高校を卒業すると、シドニーへ移り、大学で建築を学び始める。どんなに憂鬱な日も、なんだかやる気の出ない日も、そいつに会うと誰もが思わず笑ってしまう。そしてHAPPYな気持ちになる。笑い配達人のような愛すべき存在、そんなヤツが先日この世を去った。22歳。待ち合わせ時間になっても現れない彼を不審に思った友人が家を訪ねると、すでに亡くなっていたという。笑って生きることの素晴らしさをいつも見せてくれた。その姿を一生自分の心に残そうと思う。(瀬尾


なんとも月日の経つのは早いものだ。連日深夜までTVの前に釘付けにされた9.11の同時多発テロ事件からちょうど2年が経過した。初めて地球はどうにかなってしまうのではという危機を感じた事件だった。同じ人間の集団がまるで映画のシーンのように、あの大事件を起こしてしまったことに戦慄を覚えた。あの時のショックは一生忘れることはないだろうと思っていたが、それから1年はあっという間に過ぎて、アフガン侵攻(ビンラディン戦争)があり、そして今年3.12のイラク侵攻(フセイン戦争)と続き、噴火口であるイスラエルのテロと報復合戦はますます泥沼化してきているわけで、9.11は新たなシナリオのプロローグだったようにも思えてくる。アメリカの動きはテロ撲滅どころか、「目には目の」復讐心を増大させているように思えてならない。肝心のテロの親玉は生き延び、まったく罪のない子どもや住民たち、平和を望んでいる人々の血だけが流され続けている。また、批判され続けてきた劣化ウラン弾をイラクで大量に使用したことも大問題だ。テロの根っ子は怨念(復讐心)を伴っていてとても深い。最後はどの神様が正しいかという宗教戦争になることは明白だ。神のために死を喜んで受け入れ、自ら志願して行う自爆テロは、かつての日本の神風特攻隊もびっくりだろう。自爆テロは決して強い方はやらない。武器もなく追いつめられた弱者が最後の手段として、自らの身体を武器にするわけで、これは予防や予知できることではない。怨念ほど強い武器はないと思える。この怨念に勝てるのは、日本が実験台にされたあの悲惨な原子爆弾しかないだろうが、それを使えるのはよほどの狂人以外にはあり得ない。テロリストは誰の身体にも存在している「ガン」細胞と同じで、どこにでもいるもので、それが悪性のガンとして発症しないように生活習慣を改善して、一生うまくつき合っていくしかない存在なのではないだろうか。荒治療でガンを根治しようとすればするほど、ガン細胞はさらに強力になり大きくなって身体を蝕んでいくように思えるのだ。でも、アメリカのネオコンサバティブ(新保守主義者)のオジサンたちはどうも聴く耳を持っていない。ウェスタン映画に出てくる正義感の固まりのような保安官のように、拳銃をぶっ放して悪人を縛り首にしないと気が済まないようだ。ここはチャールズ・ブロンスンに再度登場願って、渋くまとめてもらいたいところだったが、あきれ果てたのか一人マンダムの世界に一足先に逝ってしまった。合掌!(