■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2008/11/20


今更ながらのことなのだが、地方都市の疲弊が気にかかる。以前は、まだ町や村レベルだったはずなのだが、最近は市レベルでも悲惨な状況になっているように思える。生まれ故郷の北海道などは、それが大都市の札幌にまでじわじわと拡大している。経済不況が続く北海道だから特にそう感じるのだろうが、「商店街」という言葉が死語になりつつあるほど、その崩壊状態は深刻だ。よく言われる「シャッター通り」ばかりが目立つのだ。この原因は明らかに郊外型の大型ショッピングセンターの登場にあることは明白で、大手チェーンストアの大型量販店の出現と同時に街から商店街が消えるという現象で、消費者としては、安くて品質も安定していて、一度に何でもそろえられる大型ショッピングセンターを歓迎し、こぞって出かけ、また新しい量販店ができたとなれば、今度はそちらに押し寄せることになる。街の雑貨屋や専門店が量販店にたちうちできるはずもなく、シャッターを閉めるしか方法はなくなり、次から次へと商店街がさびれ、人通りが極端に減って、そして誰もいなくなる。それでは、大型量販店がどこも大盛況かといえば、チェーン展開で増えすぎた店舗は、値下げ戦争によって利益をけずるしかなく、忍耐とバーゲンセールでの自転車操業を繰り返し、突如として閉店となり、結局、よりマスの大きい大都市近郊へと集中していくわけで、ますます地方は過疎に向かう羽目に陥っている。
これがアメリカナイズされた豊かな生活という結論なのではないのだろうか。便利で安価な商品が手に入り、なんでも買うことができる豊かな生活、20年前にさかのぼって想像してみれば、現在の暮らしぶりは夢のような満ち足りた生活のはずである。すべての面で贅沢になり、家の中にモノがあふれ、飽食となり食べたいモノが思い浮かばないほど、食糧や商品であふれている。その反面、失ってきたものがそれ以上に大きいことが段々分ってきている。人の温もりや人情的なモノ、人との繋がりや絆、買うことができない本物の笑顔や言葉など、いわゆる落語の世界にある「横丁」的なモノが完全に消えてしまったという後悔だ。これからの都市は、大型ショッピングセンターとコンビニエンスストアを核とした街であり、いまさら熊さんや八さんが住む横丁の長屋が復活するとは到底思えないのだが、少なくともアメリカ流の「大きいことはよいことだ」という風潮や盲目的な信仰をそろそろ止めにしてもよい時機にきているのではないかと思えるのだ。大きくなりすぎたものは、いずれバブルと同じように「はじける」しかない運命を与えられているわけで、それは会社でも店舗でも個人でも同様であり、某社の車の宣伝でもあるように、時代は「ちょうどいい」「塩梅がいい」「ほどほどの」「身の丈に合った」モノや考え方を求めているように思える。 (K

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO