■よりみち~編集後記

 


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更新日2007/11/29


『ブレードランナー ファイナル・カット』(Blade Runner The Final Cut;リドリー・スコット監督作品)を先日観てきた。2週間だけの特別上映らしい。ハリソン・フォード主演の『ブレードランナー』が公開されたのは1982年というから25年ぶりにこの映画に再会したことになる。25年前のSF映画というのがちょっと心配だったが、メカニック的(パソコンや機材類)にややショボさを感じる(さすがに25年前にはTVが液晶になることは想定していなかったようだ)程度で、ストーリーやテーマは古くなるどころかより現実に近くなっている感じがした。1982年当時、ニューヨークのソーホー地区のマリワナの煙が漂う安映画館でこの映画を観たときの感動は今でも忘れられない。SFでありながらフィルム・ノワール的な退廃的で暗く澱んだ雰囲気が漂い、それでいてクールで尖がったデザインが、ちょうど時代とマッチしていたのだと思う。翌週も同じ映画を観た記憶が残っている。中学3年になる愚息に当時感動したことを話していたら、自分も観てみたいと言い出した。25年前のSF映画の傑作をスターウォーズ世代でデジタルゲームにはまっているような息子と一緒に観るのも面白いかなと思って映画館に出かけた。リドリー・スコット監督が25年間気にかけていた部分をファイナル・カット版ですべて修正したり、再撮影して合成したというから、すごいこだわりようだ。実際の映像はどこを修正したのかさっぱりわからないが、フィルムを使わないデジタル作品の割には違和感はなく、フィルム時代が本当に終わったのだなと思えた。気になる息子の反応はというと、「まあまあだったな」というもので、オヤジに敬意を一応払ったコメントで、たぶんSFの戦争映画的なモノを期待していたはずなので、肩透かしを喰わされた印象なのだと思えた。『ブレードランナー』の原作は、フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、核戦争となった世界第三次大戦が終わった後の酸性雨が降り続くロサンゼルスを舞台にレプリカントと呼ばれる人工知能を持ったアンドロイド(アンドロイド自身も自分が人間と思っているし、人間もアンドロイドか人間か区別がつかないほど人間化している)と人間との関係を描くもので、ロボットの社会進出が現実的になってきている今の日本での問題とかなりリンクするテーマになっている。ここらへんの予備知識を説明してから映画を見せるべきだったのかなと後で反省したが、いくら説明したところで反応は「まあまあ」というのは変わらないのかもしれない。それにしても酸性雨が降り止まない未来というのはあまり想像したくないものだ。(

 

 

 

 


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