■よりみち~編集後記

 


■更新予定日:毎週木曜日

 

 

 

 

 


更新日2004/12/02


ついこの間まで暑いと言っていたと思ったら、もう今年の最終コーナーを回った12月になってしまった。毎年、このシーズンになると、月日の経過の速さが勢いを増していることに驚かされるわけだが、今年は特に異常気象や台風、そして新潟大地震のためなのか季節感までおかしくなってしまったように思える。今日のニュース番組では、12月には珍しい巨大な台風が発生していると報道していた。フィリピンでこの時期に400人もの犠牲者がでているほど規模の大きな台風で、ひょっとすると日本にも接近する可能性もでてきたという。地震も台風もこれだけいろんな発明がされている現代でも、そのメカニズムの解明には至っていない。その予測すらできないわけで、人がやっていることは自然や地球レベルで考えると、砂山のアリのような存在でしかないのかもしれない。しかし、人は環境破壊という点では、取り返しのつかないような悪影響をすでに負の遺産として蓄積し続けているわけで、いずれの世代では地球脱出ということも本気で考える時代がくるのかもしれない。少なくとも我々の世代ではその話題で盛り上がることのないようにしたいものだ。地球環境もおかしくなっているのとリンクして、人の心もかなり病んでいるようだ。まともな神経ではできないような変質者による殺人事件や、引きこもりによる親殺し、そしてネットで繋がった知らない人たちの集団自殺など、一般社会に存在はしているが異次元で思考したり生活したりしている人たちが増えているような恐ろしさがある。子供の通学に親が引率しなければならないとか、学校帰りのガキどもに気軽に冗談も言えないとか、知らない人に道を聞くことさえ、自分が客観的に見て変質者に見えないか、この言動は他人を驚かせないか、こんな行動はチェックされているのではないかという自己規制や過剰適用が求められ、人との関わり方や付き合い方も変わってくるだろう。そして、さらに社会からはみ出した人を差別するような動きになってしまうようで、悲しい気持ちになる。その意味で映画は未来を写す鏡のようにこれから起こりうる傾向を示してくれる水先案内人的存在だと思っている。人々が明るい話題を求めている時代には、光に満ちた希望にあふれた映画が作られた。近年の傾向としては、混沌と迷路、そして刺激的なテーマが増えている。ストレスが強く、行き詰まった感覚があり、そこからの一時的な開放を求めて映画館に向かっているのかもしれない。先日、トム・クルーズ主演のマイケル・マン監督作品『コラテラル』を観た。映画の出来としてはそれほどすぐれているとは思えなかったが、誰にでも起こりうる現代的な「コラテラル=巻き添え」の怖さやその虚無的な現実が良く描かれていて、正に現代映画だなと思った。私が嫌いだったトム・クルーズだが、この役どころは少しいけてると思えた。ニヒルでクールなプロの殺し屋を好演していた。それにしても、巻き添えで死んだりするのはゴメンだな。きっと成仏できずに化けて出たくなるはず。日本もイラクで巻き添えにならないといいのだが…(

 

 

 

 


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