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■よりみち~編集後記

更新日2024/12/05 



12月3日午後10時頃、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は「非常戒厳」いわゆる「戒厳令」の発出を宣言。韓国軍が、国会の政治活動を禁止すべく、銃を持って韓国の国会を封鎖に向かう一方、戒厳令解除の決議を目指す与党を含む国会議員や多くの市民が国会周辺に押しかけ大混乱に陥った。4日未明、300議席中過半数を超える190人の議員によって、戒厳令解除の決議が行われ、発令からわずか6時間後、大統領が閣議を通じて戒厳令を解除した。

韓国の戒厳令と言えば、1980年5月17日、チョン・ドゥファン(全斗煥)が軍事クーデターで79年の12月に次ぐ2回目の軍事クーデターを行った時に国会封鎖を実施して戒厳令を宣言したことを思い出してしまう。大統領暗殺から軍事独裁へと韓国の暗黒時代を象徴する事件で、さらに1982年1月5日、夜間外出禁止令を発令して、一般市民に対して午前0時から翌4時までは家にいることを強要したのだ。

ちょうどその頃、私は何にも知らずに大韓航空でソウル経由のパリ便で向かい、2日のストップオーバーでソウル市内を観光したことを思い出す。私の初めての海外旅行であり、初めての外国が韓国だった。色んな意味でカルチャーショックを受けたものだ。まず当時は若者にジーンズ姿がなく、男子学生の多くが迷彩服や軍服が多く、ジーンズ姿で長髪の私は怪訝な表情で見られ、そこら中に軍人がいて、何度も職務質問なのか、パスポートを見せろと要求されたものだ。さすが戦時中の国の緊張感は違うことを実感した。

当時は今とはケタ違いに日本と韓国の関係は冷め切っていて、日本人が嫌いという人がかなり多かったように思える。私は若い人であれば話をすれば分かり合えると思っていたのだが、若い人ほど日本を嫌っている感じが強くしてショックだった思い出がある。一度など、喫茶店に入ったのだが、若い女性の店員から韓国語で話しかけられ、英語でメニューを要求したら、プィっと横を向かれ、注文を拒否されてしまった。反対に、戦中世代のお爺さんやお婆さんたちが日本語を上手に話して、とても日本に対して好感を持ってくれている人が多いことにとても驚いた。デパートで会ったお婆さんにコーヒーを奢ってもらったり、色々とアドバイスをもらえた。

ソウルのYMCAに宿泊したのだが、フロントで夜間外出禁止令の説明を受けた。午前0時以降道路を歩いているだけで軍隊に連行されるから注意しろと言われたのだ。深夜に歩き回る者は銃殺されても文句が言えない隣国に唖然とした。実際に深夜のソウル市内は、誰一人道を歩く者がおらず、街は静まり返り、灯火管制下で街灯が暗く、ネオンやライトアップなど皆無の市内だから、真っ暗なソウルの夜は実に不気味で、歓迎されざる日本人という存在をすごく感じたものだった。

韓国の45年ぶりの戒厳令発令騒動で、隣国の火事騒ぎとは思えないほど、世界的に政治の混乱、民族の対立、経済の不安定、そして気象の異常など、地球規模でのドタバタ状態が加速してきている感じがする。どこの国でも何が起こるか予測できない状況で、少なくとも人類が平和で豊かになるのとは逆の方向に向かって加速しているように思える。

そのシンボル的な存在が、次期アメリカ大統領に再選されたドナルド・トランプであり、その補佐役のコンダクターとなったイーロン・マスクで、彼らの発言や行動が世界中に動揺を与えそうで、それに対抗するロシアのプーチン大統領、中国の習近平総書記、さらにイスラム勢力のイランなどとの関係が、より対立構造が強くなりそうな展開で、日本も相当影響がありそうです。

今回の韓国の戒厳令解除の決議が電光石火で実行されたことは、日本にとってとても重大な教訓となりました。戒厳令で国会封鎖が可能な大統領の権限を熟知している韓国ならではのことですが、日本においても迅速な判断で政治行動が必要な時代になってきていることは確実で、SNSの正しい情報選択と迅速なる対応がより重要になることは間違いなさそうです。(越)

 

 

 


■猫ギャラリー ITO JUNKO

 

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