第63回:サンダンス・キッズ_その4
更新日2008/01/24
キッズは1897年3月8日、イリノイ州のジョリエット刑務所に送られた。その後、新しい刑務所がワイオミング州のサンダンスに建てられたのを期に、そこに移された。それが彼のあだ名の由来になり、ハリー・ロンガボー青年は、アウトロー、サンダンス・キッズになった。
映画『明日に向かって撃て』でメジャー映画に初出演し、一躍大物スターとなったローバー・レッドフォードが「サンダンス映画祭」を主催している。だが、映画祭の会場はワイオミングの田舎町サンダンスではなく、ユタ州の首都、ソルトレイクシティ郊外で開かれ、自分をスターダムにのし上げてくれたサンダンス・キッズから名前だけを借りたものだ。
アウトローを追ってその記録を調べるとき、はっきりと知ることができるのは、裁判の記録と刑務所に入っている期間だけだ。刑務録の方は、囚人が特別な事件でも起こさない限り、特に記述はない。不正確な表記が多いにしろ、少なくともそこにいたことだけは史実として残る。
キッズの体型特徴だけでも身長5フィート10インチ半、18ヵ月後には5フィート9インチと4センチ縮み、髪の色も金髪から黒髪に変わっている。これが両方とも刑務所の公式記録でのことだ。出所後また指名手配になったが、そのときの体型は5フィート6インチとなっているから10センチ近くも低くなっているうえ、体重も165ポンドから、多いのでは190ポンドと12〜13キロの開きがある。目の色に至っては、青、灰、茶、黒とバラエティーに富み、一体誰のことを記述しているのか分からないほどだ。
指名手配の正確な人相描きが出回るようになったのは、私立探偵組織ピンカートンが写真を利用し、基準を設け、正確を期すようになってからのことだ。
キッズはサンダンス刑務所で18ヵ月の満期まで勤め上げた。恩許による刑の軽減が全くなかったのは、例によって彼の脱出癖によるものだろう。苦い思いをさせられた保安官ライアンは、キッズのことを看守に充分警告し、監視を怠らないよう警告したであろう。1881年5月1日に看守ダーレイが食事を運んできたところを囚人仲間のジム・オコーナーと彼を襲い、脱獄を図った。
ダーレイは逃げおおせたが、キッズは食堂から出ることさえできずに取り押さえられている。もっとも、ダーレイの方もほんの3、4時間外の空気を吸っただけでサンダンス刑務所に引き戻されたのだが…。
キッズは、要注意人物で常に脱獄しようとしている、いたって従順ならざる囚人として分類されていた。サンダンス刑務所は、キッズが入所したとき3ヵ月前に開店オープン?したばかりで、最新最強の警備施設を備えていた上、要注意人物のキッズへの看視の目は厳しかったのだろう。キッズは脱走を何度か試みてすべて失敗している。ところが、キッズが入所中、2件の脱獄があり、いずれも成功しているのだが……。
刑務所は、キッズ青年を本格的なアウトローに仕立て上げた。捕まったのは空腹に耐えかねて、移動用の足に鞍を置いた馬を盗んだだけの罪だったが、刑務所を出てからは、ワイルドバンチに身を投じる本格的なアウトローになった。1889年2月5日キッズは出所した。
キッズが法の手からながらえていた期間はほんの僅かだった。アウトローのボブ・マイナーと一緒にいたところ、ボブを逮捕にきた保安官と撃ち合いになってしまったのだ。ボブは撃ち殺され、キッズは逮捕された。裁判でボブが殺されたこと、キッズには逮捕状が出ていなかったこと、官憲側に負傷者が出なかったことなどで、キッズは無罪を言い渡された。
その後、キッズはコロラドの従弟ジョージの牧場に戻ったとも言われているが、モンタナからカナダのアルバータへと流れ、カウボーイの生活を送ったことが知れている。カナダの牧場では、野生馬をブレイクする腕を認められ、仲間から好感をもって迎えられていた。
だが、一度アルバータの裁判所から呼び出しを喰らっている。罪はなんと動物虐待、つまりブロンコをブレイクするのが馬に厳しすぎるやり方だというのだ。こちら方は、雇い主や仲間の助けで、お構いなしの判決になった。そのときの牧童仲間、フレッド・イングスが回顧録を出版し、そのなかでキッズのことを誰にでも好かれるいい男だった、と書いている。
…-つづく
第64回:サンダンス・キッズの初仕事

