第74回:ウィルコック列車強盗事件 その3
更新日2008/04/10
二手に分かれたワイルドバンチのもう一組の3人は西に向かい、ブラウンズパークを経由し南下したところまでは分かっているが、それが誰であったか意見が分かれる。それだけ彼らの逃亡が見事だったとも言えるのだが。
南下した3人組のニ人がブッチとエルジーだったのは多くの状況証拠からまず間違いないが、もう一人が分からないのだ。サンダンス・キッズともビル・カーヴァーとも言われている。
エルジー・レイは事件直後、ブラウンズ・パークのアン・バッセットを訪れ、大金を渡し、このお金をどこかに埋めて置くよう、そして自分に何かあった時には彼の母親へ手渡すようアンに頼んでいる事実がある。

恐らく1920年代のハンクスビルのチャーリー・ギボンズの雑貨屋。
2003年の国勢調査ではハンクスビルの人口197人、
今も昔も忘れ去られたような小さな村だ。
貧しい開拓民相手の店にとって、アウトローたちは金払いの
良い上客だった。もちろんチャーリーはその金がどこから
来たものか百も承知だったに違いない。
ブッチはさらに南下し、ハンクスビルの雑貨屋チャーリー・ギボンズ(現在、ギボンズコレクションとしてワイルドバンチやパイオニアの貴重な資料、写真を保存している)に立ち寄り、今までのツケと新たに購入した食料や弾薬の代金を新しい100ドル紙幣で支払っている。その前にオグデンでも自分の疲れ切った馬プラス100ドルで生きのよい馬と交換している。
当時の高額紙幣は大蔵大臣のサインをせずに輸送し、現地に着いてから、現地の大蔵省の上官が一々手書きでサインをしていた。今はもちろん発行時の大蔵大臣のサインが印刷されている。ウィルコックの現金輸送車からワイルドバンチが盗んだ紙幣はサインがしていないものだった。確かにそんなサインに注意を払う商店、銀行はまずなかったし、容易にサインを真似ることもできた。
しかし、100ドル紙幣は当時大変な高額紙幣で、通常の買い物に使うようなものではなく、大きな取引や銀行間の決算に使われるたぐいの紙幣だった。ブッチの大判振る舞いの支払いを受けたチャーリー・ギボンズは、女房と連れ立ってソルトレイクシティーへ大名旅行をし、そこで使った100ドル紙幣がウィルコック事件のものであることが銀行員に発見され、チャーリーは密かにU.S.マーシャルに尾行され、彼の豪華な休暇は逐次報告された。
どこかでワイルドバンチと接触があるに違いないと踏んだ官憲に泳がされたのだ。そんなことは夢知らないチャーリーはハンクスビルに帰ったところで逮捕され、ソルトレイクシティーに連れ戻された。結局、彼はワイルドバンチにモノを売っただけでウイルコック事件に関与していないことが分かり釈放された。
もう一人、第3の男だが、ドナ・アーネストはサンダンス・キッズだったと書いている。と言うのはウィルコック事件直後、ユタ州のレンウッド(Lenwood,
Utah;ワイオミングとの州境の小さな村)の酒場で目撃されているのを証拠とし、キッズはブッチと連れ立って、黒に金ラメの入ったシャレ者衣装でビッシと決めており、しかも彼らは重装備だったというのだ。
この談話はボーエンの"Grandpa Knew Butch"(お爺さんはブッチを知っていた)という本(このような、ブッチ、ワイルドバンチと友好を結んだ、知っていたというメモワーは非常に多い、しかし、多くはワイルドバンチが壊滅してから10年、20年経ってから書かれたものであり、年月はあいまいだ)にあり、ボーエンのお爺さん、ウラード・ショーフィールドはその村で居酒屋をやっており、ウィルコック事件のすぐ後にワイルドバンチがなだれ込んできて祝杯を上げた、その中にすでに有名な顔になっていたブッチと一緒にキッズがいた、キッズの顔は数年後写真入りの指名手配を見てあの時の彼はキッズだったと確信するに至った、と言うのだ。
この話を信用するにしても、ウィルコック事件にキッズが直接関与していたことにはならない。一つの強盗をするのは大きなプロジェクトにも似ていて、実行犯のほか、プラニングに始まり、情報収集、逃走ルートに設置するリレー用の馬の配備、時間を合わせて電信網の破壊などなど、かなりの人数を使い分ける総合イベントなのだ。ブッチは実行犯以外のメンバーにも分け前を十分与えていたし、皆に景気よく奢るのが好きだった。レンウッドの村の居酒屋でキッヅがブッチと共に気炎をあげたとしても、ウィルコック列車強盗事件に直接関わっていたとは言えない部分が残るのだ。
判事や弁護士、政治家の証言が居酒屋の親父のそれより信用できるというのは立派な偏見だが、ブッチがララミー刑務所に入る前からの知り合いで、ブッチがトム・マッカティー、マット・ワーナーなどと共同で買った牧場の隣人でもあり、ブッチを有罪にし、務所送りにした判事のウィリアム・シンプソンはブッチとウイルコック事件直後にワシャキーとテルモポリスの間にある村とすら呼べないマディークリークで会い、一時間ほど一緒に過ごしたと書き残している。その中で、ブッチはウィルコック事件に携わっておらず、ましてやシェリフ・ハイゼンの殺害とは全く関係がないとシンプソンに誓ったと言うのだ。
シンプソンは生涯尊敬を集め、無駄なことは言わず、ましてや不用意なことをメモワーに書き残すタイプの人物ではないが、何のためにブッチとそんなド田舎で会い、しかも一時間も一緒に過ごしたのか明らかにしていない。事件直後にブッチに会ったとしているが、期日も明確ではない。
事件が起こったのは6月2日夜中の2時半で、シェリフのハイゼンはカスパーからダグラスに移されそこで亡くなったのは5日の朝5時頃だった。ハイゼン死亡のニュースがマディークリークというワイオミング州のど真ん中の辺地にそんなに早く伝わるとは考えられない。
シンプソンがハイゼン死亡のニュースを持ってブッチに会いに行ったとすれば、5日以降にブッチに会ったことになり、どこでどのようにブッチと接触を持ち、面会をアレンジしても数日はかかったであろう。第一、ウィルコックの事件後数日間も逮捕の危険を犯し(当初からブッチが主犯とみなされていた)ワイオミング州に踏み留まり、いくら旧知の間柄と言え自分を有罪に陥れた判事にノコノコ会いに行く間抜けはいないはずだ。
…-つづく
第75回:アラン・ピンカートン登場

