第111回:ヴィリャ・メルセデス銀行強盗事件 その2
更新日2008/12/25
カウンターの上にそびえる高い鉄柵の仕切りをどのように二人の犯人が乗り越えたのか、出納係のガリシア(Garicia)は覚えていない。気がついた時には、すでに銃口が胸に付きつけられていた。
賊はナシオン銀行の金庫をきれいに持ち去った。銀行側の声明では12,000ペソから14,000ペソが被害総額だった(現在の米ドル換算でおよそ15万ドルになろうか)。
居合わせた客のカルロ・リッカの証言で、銀行員を脅迫したのはスペイン語でだったが、仲間同士では言葉をほとんど交わさず、事前のすり合わせが充分行われており、あらかじめ振り分けられたそれぞれの役割を完璧に演じていたことが分る。
賊の一人が現金の入った袋を待たせてあった馬に縛りつけている間、見張り役の二人は銀行内を見張り、もう一人が銀行員を牽制した。
すべてのメディアが共通して驚嘆しているのは、犯行時間の短さだ。彼らが銀行に入ってから出て行くまで、たった4分間というのが証人たちによって確認された犯行時間だ。
後日、4人組の足取りを調査した結果、4人組は3ヵ月も前からヴィリャ・メルセデスと郊外、それに南西の山岳地帯で目撃されており、4人組は事前にたっぷりと時間をかけ、銀行の内部、金庫の場所、銀行に蓄えられる金の動き、銀行員の人数と役職を調べあげていたことが明らかになった。
逃走はブッチ・スタイルと呼ばれる、乗り換えるリレーの馬を適当な距離を置いてあらかじめ数ヵ所設置し、犯行地から極力早く遠ざかり、逃げ切るやり方で行われた。アメリカ西部での犯行と違い、ワイルドバンチ・シンパの牧場主や逃げ込める砦のようなアウトロー自治区?がアルゼンチンにはないので、リレー地点には食料、水、キャンプ用品まで揃え、アンデスの山中に消えたのだった。おっとり刀で駆けつけた、にわか組織の追跡団を悠々と引き離し、チリへ抜けたのだ。
追跡団も不慣れながらよく迫り、銃撃戦を演じる距離まで接近できた…と、地元の警察で追跡に加わったバリサリオ・オリヴェーロス(Balisario
Oliveros)が証言している。しかし、別々に組織された追跡団が幾つかあり、それぞれ異なった証言をしている。ある者は豪雨で足跡が流され、追跡をあきらめなければならなかったと言い、ある者は賊がブッシュに火を放ち追跡を不可能にしたと、相容れない文字どおり"火と水"論を展開しているのだ。
一般には、賊の一人が交戦の際、かなりの重傷を負い、他のメンバーが負傷者を馬に縛りつけるようにして逃走したと信じられている。
もう一つ新聞で大きく取り上げられているのは、ブッチ(と思われる人物)が馬を乗り換えるとき、疲弊した馬を撃ち殺したことだ。馬をそのように撃ち殺すのは、馬が骨折したり、生き残る可能性がなくなったときだけに許される行為で、ただ単に馬が追跡団の手に渡るのを防ぐために殺すのは、非常に残虐なこと、西部やパンパスの掟に背く行為とされていた。
このハナシは広く信じられているにしろ、信憑性が薄い。第一、追跡団は賊の顔が見分けられるほどの距離まで接近していない。そして、疲弊した馬がもう一度追跡に使えるようになるまで一週間はかかる。潰れた馬なら、その後全く使い物にならなくなることが多い。加えて、ワイルドバンチたちは一番血の気の多いハービー・ローガンでさえ、乗り捨てた馬を殺すようなことはしたことがない。
新聞が賊のイメージに残虐性を付け加えるために味付けした創作だろう。だが、アルゼンチンでは、残虐なグリンゴ盗賊団のイメージは固定されてしまった。
事件後集めた証言により、賊はアンデスのチリ国境まで直線距離で250マイル、恐らくは裏街道、牧羊の移動に使われているだけの踏みつけ道を抜けチリへ逃亡したのだった。もちろん途中にある町サン・ルイスやメンドーサなどは巧みに避けている。
…-つづく
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